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先天性心疾患娘、いざ手術~退院

娘の病気は日にち薬で治るものではなく、絶対に手術をしなければいけないとわかった。

手術の前に待ち受けていたのは大量の同意書。
手術を行うにあたってどういう処置を行うか。行った場合に懸念される副作用、合併症はどういうものがあるか。
そのようなことが書かれている。
とても少ない可能性のことも書かれているので、例えば10万分の1の確率で死亡する、とか書かれている。

「もしわが子がその10万分の1になったらどうしよう」

と思いながらも手術はするしかないのでどうしようもない。
薄目で同意書を確認し、エイヤッと勢いで全部同意した。

これが結構辛い。これが現代医療か。
ニセ医療に流されたくなる気持ちが少しわかった。
100%治ります、安心です、って言ってほしい。
でもそんなもん無いことはわかっている。
現代医療と娘の生命力を信じて祈るのみだった。
ただ祈ることしか出来ない、ということがなんとももどかしく、落ち着かなかった。

手術当日になるまでの夜なんて最悪だった。
「娘が命を落としたら…」
「あかんあかん、出たとこ勝負、出たとこ勝負!後遺症いろいろあっても生きてくれたら万々歳!ねよ…」
「寝れん…無になろう、無に。」

真夜中の考え事はろくなことがない。そんな二日間だった。

救いだったのは二つ上の息子がいたこと。
まだまだ自分一番な息子は娘がいなくなったことで両親を独占、おまけにおばあちゃんもとっかえひっかえ来てくれて嬉しそうで、
時々娘の名前を思い出してつぶやくも、基本いつもの調子で体力オバケだったので、当然私の体力も消耗して、夜は全く寝れない!ということは無かった。
これが第一子であれば本当に気が狂っていたと思う。

手術当日。息子のお守りをばあちゃんに任せて、夫婦で病院へ向かう。

手術は8時間を予定していた。
専用のPHSをもらい、基本は手術が終わったら連絡をするとのこと。
もし何か不測の事態があれば手術途中に連絡するかもしれない、とのことだった。

PHS、手術終了予定時刻まで鳴るな!
念じて待機。

ぼーっとテレビを見たり、趣味の編み物をするなどして時間をつぶした。
私はあまり食欲がなかったが、夫がやけ食い気味だったので、釣られて私も昼食をやけ食った。
タイプの違う夫婦でよかったなと思った。

長い、でもなんやかんやと時は流れて予定時刻の1時間ほど前にピッチの着信音が鳴り、ドキッとするも
「無事終わりました」との連絡。

集中治療室で管だらけの娘と対面した。
娘は目を瞑っていたから正しくは見た、と言うべきか。
管だらけで帰ってくると聞いていたので見た目のショックはそこまでなく、よく生きて帰ってきてくれた、ありがとう、お疲れさまという気持ちが大きかった。

それからは手術の後遺症で声が小さい、ミルク飲みづらくて飲まない、などのトラブルはあったけど、徐々に改善し、
元気な甲高い声が元にもどり、ミルクは手術前と違ってぐびぐび飲めるようになり、笑ってくれる時間が増えた。
やっぱり今までしんどかったんだねぇ、というのを術後の娘を見ていると痛感する。

コロナ禍かつ多忙な担当の先生と話す機会もなかなか持てず、
もしかして娘は1年ぐらい入院しとかなアカンのか?なんてことも考えていたりしたけど、結局約2ヶ月で娘は退院。

手術してスッキリ良くなる、という病気ではなく、産まれてこれまで頑張って動かしていた心臓のダメージはまだまだ残っているみたいだし、これからも最低2回は確実に手術をすることになるだろうし、成長するにつれて運動制限が必要になる可能性もある。

こんな当たりくじは出来れば引きたくなかったけど、引いてしまったものはしょうがない。
この病気と一緒に娘が幸せになる道を模索するのみだ。

娘が集中治療室にいたとき、看護師さんのかけてくれた言葉がとても印象に残っている。

「よく、なんでうちの子が、という親御さんの声を聞くのですが。そもそも病気があって産まれる前になくなったり、産まれてすぐ亡くなる子がいるなかで、病気を持ってでもちゃんと生きて産まれてきたわけで。その力ってものすごいもんやと思うんすよ。」

うん、私もそう思います。

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