創作経典(作りかけ)

1.世界について

神々は、永きに亘る争いの、和議の象徴のために、我々人間を作った。そのため我々は、多くの神々の思惑の下にある。身の程を弁え、運命を受け入れることもまた、我々に求められている役割の一つである。

火は、太陽と月の化身であり、退魔と永遠を象徴する。火は草木を食いてその身を大きくするが、土のみであったり、水のみであっては、燃えることができない。つまり、火は命を食らう。仮初めの命を永遠のものに置き換えるのが、火の役割である。

水は、海の化身であり、世界のあらゆるところを流れている。それは我々人間においても同じであり、魂に水が滞りなく注がれるが故に、我々は生きることが出来る。生き物において、水の気が強く出た場合、それは男になる。

土は、大地の化身であり、世界の全てを支えている。土は、あらゆる草木と生き物の身体を担っており、我々の身体も、大半が土で出来ている。生き物において、土の気が強く出た場合、それは女になる。

風は、空の化身であり、物と物が結びつくことのないよう、「隙間」を作っている。人は周期的に肺に空気を取り込むことで、空の法を学ぶ。

2.人について

新たな命を祝福せよ。新たな命は、世界と我々の平和が今後も保たれる証である。

人間の魂には、太陽と暗の契りにより、天使と悪魔が一対づつ込められている。それにより、もしまた明と暗の争いが起きようとも、心の中の葛藤で抑えることができるのである。

光のみを身に付けた人間になってはならない。強い光は濃い影を生み、たとえ表面上では光だけのように見えても、心の底に強い暗闇を持つようになる。心身は調和を目指さなくてはならない。

死者は悪魔の手先にならぬよう火をもって丁寧に焼いたのち、その者の望むであろう葬い方をする必要がある。
それは以下の通り。
優しき者は大地に埋めよ。
真面目な者は大空に撒け。
朗らかな者は海と踊れ。
ただし、罪人はその限りではなく、暗の導きに則する場合もある。

3.生き物について

人を含め、生き物には皆魂が備わっている。魂は、天使や悪魔の入る容れ物のようなものであり、人の魂には常に彼らが入っている。

植物にももちろん魂があるが、彼らにはそういった存在が入り込むことがあまりないため、普段それらが心を持つことはない。神々を受け容れるに至った、立派な植物はその例外である。

動物たちは元々暗の手先であったため、我々を襲ったり、相容れないこともあるかもしれないが、彼らは共に世界の安定を維持する友でもある。彼らを邪険に扱ったり、見下したりするような人間は、人に対しても同じことをする人間である。

4.食について

人は、火と同じように、身体を燃やすことで生きている。そのため、火に薪を焚べるのと同じように、食事をする必要がある。火が水や土を食べないように、人もまた、人に合った物を食さねばならない。我々が命あるものを食すのは、そのためである。

「海水」とは、月に魅入られた海の罪である。海水を煮詰め、月の欠片(塩)を取り出すことでその罪は浄化される。塩は月の力を持っており、火と同じく永遠を示す。我々は、程よく塩を用いることで、暗き死を遠ざけることができる。

火、もしくは塩を用いずに、生き物を食してはならない。なぜなら生き物とは、暗より出でしものだからである。暗の導きは腐敗を起こす。我々は「太陽の導き」、もしくは「月の導き」を用いることで、腐敗を抑えたものを食することができるようになる。

5.男女について

夫婦の儀を行う際には、塩を飛ばした海水で育てた樹木を用いるとよい(海と大地の復縁)。
夫婦はその木を用いて、互いにとって最も重要な道具を作るとよい(夫婦の分業)。
また木を切る際には、なるべく多くの出席者に切ってもらうとよい(祝福)。

6.山について

山は、天使と悪魔が特に激しい戦いを繰り広げた、古戦場である。彼らの亡骸は、大地によって地中の奥深くに沈められたが、時にその争いの名残が、毒の霧や燃える水となって地表に現れる。
山はそれ故、複雑かつ強大な力を宿した場所であり、修行の場として用いることができる。明と暗の調和が乱れている者は、一度山に籠るとよい。

法について、金銭について、などは考え中…


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