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E43: 五月晴れ、不動産屋

あのころ、僕はずっと
実家で窓の外を眺めて、ぼーっとしていました。

せっかく復学した地元の大学に、約1ヶ月
魂の抜けたような顔をして
通っていた22歳の僕に、

母が洗濯物を畳みながらポツリと言ったんです。

「そんなにしんどいんなら、
 東京でもどこでも行って
 勝負してきたらええねん」


後年、母は言いました。
「あれは『賭け』やったわ…」


東京?
何も決まってないのに?

でも、ずっとこのまま家にいて
窓の外ばかり見ているのも
面白くないわけで…

ちょうどその時テレビでは、
音速の貴公子アイルトン・セナの訃報が流れ
大騒ぎになっていました。

(人間って、いつ死ぬかわからんのやな…)


売り言葉に買い言葉
気づいたときには口に出していました。
「おう、わかったよ! 行けばええんやろ?」

世の中のこと、何も分かっていない
ただの甘ちゃんでした…

それは、5月でした…。

・・・・・・・・・

次の日の朝5時半
僕は新宿西口のバスターミナルにいました。

(勢いだけで来てしまった…)

10時まで時間を潰し、とある大学の近くにある
不動産屋を訪ねました。

「すみません、
 この店で一番安い部屋を貸してください」
「はあ?」

中にいた人たちが、一斉に怪訝な顔で
仕事の手を止めました。

近くにいた、一番愛想のない人
(仮にダル沢さん、とでもしましょうか)が
僕の前にダルそうにやってきました。

「源太さん、あなた、お仕事は?」
「いや、これから決めます」
「はい?」
「だって、住所もないのに仕事できないので」
当時の僕、言うことだけは一人前ですね。

「源太くんね、あのね、不動産を借りるには保証人がいるんだよ」

みなさん気づきました? 呼ばれ方が
「くん」に変わりましたね。ははは
「タメ口」になりましたね。ははは

「知ってますよ。親になってもらいますから」
「はい? ご両親は知ってらっしゃるんですか?」
「だからさっきから、そう言ってますよ」
僕は、少しイライラし始めました。
どうもダル沢さんは、僕を信用してないんです。

途中で気づいたんです。
(ああ、コイツ、俺のこと家出人だと思ってる!)

まあ、その時は腹が立ちましたけど
社会的信用が何もない、という点では
大して変わりないじゃないか、

…と今では思いますね。ははは



「今からお母さんに、電話しますよ」
「どうぞ」
「本当に、電話しますよ!」
「だから、どうぞって言ってるでしょう!!」

なんでしょうかね。
このヘンなやり取り。


「ああ、私が出したんですよ」
電話口であっけらかんと言う母に、
ダル沢さんは頭を抱えました。


結局、怪しい者ではないと
分かってもらえるまでに4時間。
部屋を借りて契約するまで3時間
店を出たのは17時過ぎでした。


よーく、わかったんです。これで。
社会的信用がないと、部屋も借りられない。
不安の中でフリーター生活が始まりました。

・・・・・・・・・・・・・


数年後、

あれから何度か引っ越しして
僕もいろいろあって、心も入れ替えて
大学に入り直したんです。

そこでね、思ったんです。
せっかくなら
その大学の近くに住みたい… と。

なぜか、ふと浮かんだのは
人をなめるように観察し
常に上から目線で部屋を紹介してくれた
あのダル沢さんでした。

またしても、5月でした…。


・・・・・・・・・・・・・・・


あのころお世話になった「支店」に行くと
なんと2分で帰されました。
「5月ですからね、そんないい物件なんて
 ありませんよ」

けんもほろろ、とはこのことです。
ちなみに「支店」に、ダル沢さんはいませんでした。

なんか、悔しい…。


ふと思って、大学の方に向かって歩き出しました。
そこに「本店」がありました。

・・・・・・・・・・・・

僕の目の前にダルそうに座った
かの懐かしい(?)顔に向かって言いました。
「すみません。かくかくしかじか
 こういう条件で部屋を借りたいんです」
「はあ?」
「そんな条件、無理ですよ。5月に」

また、けんもほろろ、です。
そこで僕は、「役者」のスイッチを入れました。
僕、燃えるんです、こういう時。


「そうですかあ、残念ですね。さすがのダル沢さんでも無理ですかあ。いや本当に残念だな、ダル沢さんならなんとかしてくれると思ったんですけど、やっぱりいくらダル沢さんでも無理ですよね? ごめんなさい失礼しました。はい」

「ね、ちょっと待って!!」


愛想のないダル沢さんが、帰ろうとする僕を
慌てて引き留めました。

「あの、なんで僕の名前を?」

「ダル沢さんですよね。その節はお世話になりました」
僕はゆっくり名刺を差し出しました。

ふだんは整理の悪い僕、でもなぜか「東京の原点」
として大事に持っていた「ダル沢さん」の名刺。
それをゆっくり本人の前に差し出したのです。

「前にね、僕が上京したてで、仕事もないときに
 ダル沢さん、とても親切に部屋を探してくださって。
 だから僕、とてもうれしくて感謝していまして、
 お名刺を大事にしてたんです」


(でも、あんた、ずっと偉そうだったけどな)
とは、もちろん言いません。

「で、今は何をなさってるんですか?」
わあ、敬語だ…。
「ああ、そこの大学に通ってます。せっかくここに通うので
 近い方が良いと思いまして…。ダル沢さんなら…」

「わ、わかりました! なんとかします!」


僕の前にスッとお茶が運ばれてきました…。


30分後
「びっくりするような素敵な大家さん」の
「びっくりするような素敵なお部屋」に
「びっくりするような素敵な家賃」で
契約できました。


5月なのに(笑)
ね。

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