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E10:最後の曲がり角

「呼びかけてください。意識はなくとも耳は聞こえていますからね」


こういう言葉を最近、テレビやネット、それに本などで見聞きするようになった。

若い頃はそんなこと、教えられたことも、考えたこともなかったけれど「あのとき」僕は、“偶然”そうした。

「行ってくるからね。待っててよ。帰って来るまで、絶対待っててよ!」
我知らず、声は大きくなった。大好きな祖母にそう語りかけ、僕は病室を出た。

「さすがに、今日は見送りに来ぇへんな、ばあちゃん……」

病院の建物を振り向いて、弟がそう言った途端、僕はこらえていたものがあふれ出し、嗚咽が止まらなくなった。

「そないに泣くぅ?」
弟は呆れたように僕を見たが、向こうも泣いていた。

子どもの頃、家に遊びに行き、帰るときになると、祖母は必ず、僕たちが「見えなくなるまで」見送ってくれた。

見送り、とはそういうものだ。祖母から何度もそう教わった。たまにこちらが最後の曲がり角で手を振り損ねると、後から電話で叱られた。

「あのな、相手はもう、そこにおれへんかもしれんけど、それでもちゃんと振り返りなさいよ。まだ、手ぇ振ってくれてるかもしれへんからね」


「あのとき」
ふだん、滅多にない出張の日が近づいてきた。
正直、僕は頭を抱えた。行き先はなんと海外。たまらず上司に打ち明けると、出張に行かない選択肢を提示してくれた。

でもその瞬間、頭の中で声が聞こえた。
(何言うてんの? 仕事はせなアカンよ!)

今回僕の「代わり」はいないし、そのぶん誰かが、出張中僕の仕事を負担することになる。わかっていたのに、わかっていたのに、誰かに聞いてほしくてつい口にしてしまった。そして、自分を激しく責めた。

「あ、あ、すみません。大丈夫です。行きます。
 それで、ほかの人には黙っててもらえますか?」

……なんとも格好悪い話だ。今でも申し訳ない。


「待ってて!」
そう声をかけてから数日後、予定通り僕は海外出張に出た。

ここで、「出張中の記憶はほとんどない」なんてことになると、また祖母に怒られそうなので、僕はいつも以上に仕事に集中した。あまり、眠れなかったけど…。


帰国後、関西空港のトイレで弟に電話を入れた。
「あ、大丈夫やで、持ち直してるみたい」
全身から力が抜けた。

疲労困憊の僕は、体を引きずるように帰宅し、トランクを放り出し、着替えもそこそこに、そのまま深い眠りについた…。


祖母はその4時間後、静かに旅立った。


僕は、今も時々考える。
何度も同じ「計算」をする。

関空、自宅、病院
関空と病院の間に自宅はある。

「あのとき」
もし、関空を出て、JRの「はるか」に乗って、
自宅に寄って、トランクだけ放りだして、
またすぐJRに乗って、新幹線に飛び乗って、
私鉄に乗って、タクシーに乗っていたら……。

「待ってて!」
僕は確かに、眠る祖母の耳元でそう言って出かけた。逝ってしまったその「時間」は、「最後の曲がり角」で孫を待っていた、その「時間」に違いない。

悔やんでも、悔やみきれない「時間」がそこにある…。

最初の5年は、後悔ばかりだった。
でも、今は「心で」会話する術を覚えた。
それまでは、この世に目に見えるものだけがすべてだと思っていた自分。
でも、今はいろいろと、「直感」がはたらくようになった。

墓参りをすると、空き家になった祖母の家の前を通る。
「最後の曲がり角」で、僕は必ず振り返る。
「直感」がはたらくようになってから、僕はそこで泣かなくても済むようになった。




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