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神也人。
わたしは糖尿病が怖かった。
段々悪化して決して治らない病気、という響きが怖かった。
義父が治らない難病で弱っていく姿を見ていたのに、私はなぜか糖尿にだけフォーカスしていた。
好き勝手、ダラダラしたら罹患する。
ストイックに食事管理しないといけない。
寝たきりになって誰かの世話になるのは甘美な響き。
この土日にイメトレの勉強会に参加して、普段はそうでもないのに、そこにいる間「糖尿こわい」のワードがずっとぐるぐるして、最後のイメージ瞑想でもぐるぐるしてて、なってえーやんって受け止めてもぐるんぐるんしてるので、それなら、どういうふうになりたいの?と自問したら「食事を心から楽しみたい」と無意識は答えた。
イメージ瞑想中だったので、食事を家族と心から楽しむ自分をイメージすると涙がどんどんあふれた。
幸せで温かい気持ちになったから。
最後に講師の先生にこれをどうしたらいいのか質問してみたら、返答は「糖尿になってもええやんって受け止めて、それで望む方へ行くんやで」と返答を貰った。
望みは、幸せな食事をすることだから、それを現実化するまでイメージするのが私のこれからの方向性だ。
でもなんだかもやもやする。このもやもやはなんだろう。
それを抱えながら帰路についた車の中で、唐突に閃いた!
糖尿を恐れていた時、本当は私は糖尿になりたかったんだ。
病気になって、同情されて、世話してもらって、周りも自分も苦しめて、この世に復讐する。という、ネガティブな望み。
そしてこの3次元世界に対する絶望。
その奥には、自分は十分に世話されていないという不満感。
愛されたい、愛されたいのにいらない。だから病気になってやる。
ひゃーーーーーーーーーーーー。
赤ちゃんの頃の、十分にお世話をして貰えないと感じてできた心の傷が全ての発端だわ。
この心の傷があるからこその、そのおそれを否定せず、「ええやん」と受け止めることが大切なんだ。
おそらく先生は、おそれとはネガティブな望みだとわかっていて、その人自身が無意識にそれを叶えていることもわかっていて、でもそのネガティブな願いは過去できた心の傷からきていることも知っていて、だからこそ「ええやん」って、受け止めることで、本当の願いへ進めるんだと教えてくれる。
だって、本当の願いがわかった時、驚くほど心は跳ね上がって温かくなるもんね。
ネガティブが本当の望みじゃない!
おいしいね~!って笑いあう、幸せな食事が私の望み。
怒りも恐れも絶望も、幸せよりうんとうんと小さい。
幸せを感じるときの心の震え、それこそが本当の人間の原動力。
自分に対する信頼。世界に対する信頼。
それらはもともと持っていたもの。
それに気づくと、恐れや怒りを生み出す心の傷は、その奥に隠れた本来の自分を現実化させるための、赤ちゃんの頃の私がつけたレ点マーク、付箋つけといたでーみたいなもんやわ。
ちょっと~、現実に迷子になってた私さん、ここここ、ここに私の才能ありますよ~!って知らせてくれるためのものなんやな。
あー、人ってどこまでもどこまでも能動的な生き物。
この世の仕掛けってすごい。
わたしは全て持っている。
わはははは!
全部完全で完璧な調和なんよな~。
どういうふうに生きていても、ここにいる今が幸せなんやわ。
ほんとうの親孝行って、親から心身共に自立して、わたし自身で幸せに生きることなんやな~。
心の傷を見つけるのが楽しくなってきたぞ。きっとまだまだあるからね。
でも気づかなくても、自分の才能、自分の良さはすでに現実にある。
全部ばっちりやな♪♪
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