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児童養護施設で働いていたときの話。

かれこれ二十年近く前の話なので、わざわざ書くほどではないと流していたのだけど、ここ2週間ほどずっと引っかかっていているので、思い切って書きます。暴力的な描写を含みますので、読む方によっては、不快に思われる内容です。ご了承ください。
児童虐待という言葉は「child abuse」を訳したものです。abuseとは不正使用、乱用という意味があり、直訳すれば子どもの不正使用となります。これは、子どもの愛情の不正使用だと個人的解釈をしています。子どもは愛情を注がれるだけではなく、一途に愛する存在です。その愛を向けられた大人が、子どもからの無償の愛を私的に悪用すること、それが虐待です。
わたしが大学を出て働いたのは児童養護施設でした。わたしが働き始めたころは、その虐待という言葉がクローズアップされ始めたころで、児童養護施設が被虐待児の受け皿になっていました。しかしそれまで心理的、専門的なケアを学んでいない職員も多く、研修や勉強会が行われていましたが、旧態依然の暮らしがありました。

旧態依然とは、正直に書くと、職員がこどもに対して支配的にふるまうことで団体を統率する仕組みです。今でいうと、それは虐待でした。

たとえば、子どもに注意するとき、胸ぐらをつかんで振り回すのです。幼児に対してでもです。それは指導だといわれました。働き始めたころ、その施設は子どもの万引きや無断外泊など問題行動が噴出していて、やさしい対応をしていては子どもがつけあがるから、といわれました。
でも入った時からそれがずっと疑問で、わたしはなかなか、それができずにいました。わたしより後から働き始めた人が、子どもの胸ぐらをつかんでいる場面を見た時はショックでした。
今の記憶ではやっていなかったと思っているけど、もしかしたらわたしもやっていたかもしれません。

働き始めて2年目に、ある子どもを担当することになりました。その子は虐待で施設に入ったわけではないけど、軽度の知的発達障害があり、問題行動が止まらず、子どもたちの中でも孤立していました。担当するにあたって、すごく大変だなと思いました。わたしは働いた経験も浅く、対応スキルがありませんでした。癇癪を起して地面にひっくりかえって泣きその子の腕をつかんで引っ張ていく毎日。私はついに、その子の胸ぐらをつかみました。
上司から、それは適切な指導だと言われました。その子にはそれぐらいしないとといわれました。果たしてそうなのか、わたしは疲弊しました。自分では判断ができず、大学時代の恩師に相談しました。彼は言いました「君のしていることは虐待だよ」と。

わたしはその時、すごくホッとしたことを覚えています。よかった、やはり指導ではなく虐待だった。暴力は必要ではないんだ、わたしのしてることは間違っていたんだ。

それから、わたしはその子に対して手を出さないことにしました。出来る限り共に過ごして、泣き出したら正面から抱きしめることにしました。

思えば彼女は、いつも私が背中を向けると泣き始めたな、ただ担当になっただけの大人に対しても、こどもは愛してほしいし見つめてほしいんだな。

その内、彼女が落ち着き始めました。あの子変わったねと言ってもらえるようになりました。上司は、変わったかな?と疑問を持っていました。

でも、良いときは長く続きませんでした。あるとき、わたしが休みの日、その子が学校のデイキャンプで同じ班の子の物を盗むことがあったそうです。休み明けに職場へ行くと、その子がこっそり話に来ました。頭が痛いというのです、触ってみると水がたまったようになっていました。彼女はこそっと言いました「○○先生(上司)に叩かれた」と。

それまで、胸ぐらをつかんで振り回すのは日常茶飯事ですが、直接的な暴力はありませんでした。でも彼女が話したことは嘘とは思えず、わたしはその言葉を信じました。密室で起こった出来事らしく、実際は見ていないけど、大きな音とその子が泣く声と、上司の怒鳴り声は聴こえたという話を、他の職員から聴きました。

わたしはそれまでとても疑うことは知らずまっすぐ育っていたので、まさか大人が子供に直接手を下すことがあるなどとは思いもしませんでした。

わたしのそれまで信じていた世界が壊れたように感じました。

更にその日、上司がめずらしく、その子と出かけて帰ってきたかと思うと、彼女はジュースを買ってもらってご機嫌に言いました「やっぱり○○先生にはされてないよ」ってね。

わたしはますます、もう心が挫けてしまいました。他の職員さんに声を掛けられて、その日の夜に食事に行きました。三人で行きましたが、二人とも暴力的な指導からは距離を置いている方たちで、彼女から上司に殴られたと話を聴いていたそうです。これからどうするか、このまま見過ごすか、という話になりました。各々が別の機関や、信頼できる人に相談しました。わたしも大学の恩師に相談しました。2人は、今回の件は見送ることにして、毎日のケアを徹底することにする、といいました。

わたしは、どうしても納得いきませんでした。その子のけがは、誰がしたのかうやむやになっていました。園長に相談して、実際は何が起こったのか、調べてくれるよう依頼しました。そのうち、上司が何度かその子と通院して頭のけがを治しに行きました。

ある日、園長に呼ばれていくと「はっきり誰がしたかは分からなかった。○○先生は、自分ではないと話した。わしができるのはここまでだ」という返事でした。そしてその話が終わってから、職員室へ行くと、上司から「ごめんね」と言われました。

何に対しての謝罪だったのか、はじめはピンときませんでした。そのうち、けがをさせたことではなく、疑わせたことに対する謝罪なんだとわかりました。

これが結末でした。

わたしはこの人の謝ってほしかったのだろうか、そうではありません。では、あの時私は、真実を明らかにしてどうしたかったのだろうか。

その件が落ち着いてしばらくしてから、わたしは退職しました。次の職場は児童養護施設の上位機関で、働いていた場所は職員の入れ替わりも多かったので、何故やめたのか、どんなところなのか、よく尋ねられましたが、わたしは何にも答えませんでした。なんと答えたらいいのか分からなかったからです。

出来る限りのことはしたし、闘ったつもりでいましたが、結局すべてがうやむやでした。


3.11を期に現場から離れ、家事育児に専念していたので、若い頃のこの出来事は殆ど思い出すこともなかったのですが、最近よく思い出します。

結局、わたしのやさしくなりたいという願望から、被害と加害の対構造で社会を見ていた結果がこの出来事を招いたんだな、現実というのは、とてもシンプルだなと感じました。世界のすべては意識の結果で、どこまで傷ついても、やはりそれは身から出た錆なのです。

そして、わたしがこの件で本当にしたかったことが、つい最近、やっとわかったんです。それは「いかなる暴力も虐待であって、指導ではないから辞めた方がいい」と上司に伝えることでした。

その子はずっと私を慕ってくれて、辞めた後働いた場所にも遊びに来てくれましたが、わたし自身、子どもに手を出したことをずっと後悔しています。
自分より弱い相手に手を出している人は、実際は自分の首を絞めているから、本当に辞めた方がいいです。

この件があってから、どの子ども相手でも、わたしは絶対に手を出していません。次に働いた職場は5年働いて、延べ2千人以上の被虐待児童と関わりました。大人から心理的、物理的、性的に愛する意志を裏切られ利用されてきた子どもは怒りを秘めており、信頼関係が築けたらまずその怒りをその相手にぶつけます。全員と信頼関係は築けないのは勿論でしたが、好いてくれた子どもが、わたしとの些細なやりとりで猛烈に怒り、コントロールがつかなくなって、めちゃくちゃに殴られることがありました。それでも絶対にやり返しませんでした。それが通過儀礼だからです。殴ってもやり返されない、その経験が絶対に必要だからです。

でも、利用された子供の心の傷は計り知れません。底を見つめていたら、飲まれます。やはりここでも、大事なのはスキルを学び、実践することです。

12月に生誕劇を行う予定ですが、子どもを虐待した私なんかがしてもいいのかと思えるほど、舞台に立つと心が丸裸になります。それでもやると決めたのだから、今までの私全てを含めて臨むしかありません。


長くなったし、小学生みたいな文章ですが、子どもを育てるにあたって、大事なのは根性ではなく技術、と思いながら生きていきます。


余談ですが、件の上司と、今はご近所に暮らしています。同級生ではありませんが、子ども同士が同じ小学校に通っています。特に親しい付き合いはありませんが、わだかまりはありませんし、目が合えばお話もします。それはあのとき、上司が謝ったからというのもあるかもしれないな、と感じます。ご近所になったのは全くの偶然ですが、人生、本当に何がおこるかわかりません。ともあれ、挨拶は大事ですね。

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