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糸を績む

今日は糸績みサークルの日。かれこれ4年ほど、インストラクターさんに来ていただいて、友達と三人で、糸を績み続けています。

今は売っている服を買うのが当たり前だけど、それが当たり前ではなかった時代、どんな風だったかというと、

お家で女の人は糸績みためて、反物に織り上げ、着物に仕立て上げていました。

近代化に伴って、暮らしは形を変えて、そういった風景はなくなって行ったそうですが、田舎では長く続き、昭和の初期までは続いていたそうです。

わたしは、高校生の時に、自立とは何かについて一人で考え続けたことがあって、その結論が「自分の来ている服の糸一本も作れないのに、自立していると思うなんておこがましい」でした。

だから、着ている服だって食べているものだって誰かが作ってくれたもの、わたしは生かされている。だからありがたいという気持ちを忘れないように、謙虚に生きよう。

…高校生の頃って、哲学めいたことに耽る時期ありますよね。


そんな自分なので、糸を績むことは自立への第一歩と捉えているところがありました。

だから、かつて暮らしていた人たちは、糸を績んで布にしていたんだと知った時は、めちゃくちゃ感動しました。

ご先祖様、すごい…!

想像すれば当たり前のことなんですけどね。機械があることが当たり前になっていたので。

なので、この糸績み、一応仕事にもなっているのですが、わたしにとってはかけがえのない大事な時間です。

それぞれ、会っていなかった時の話題を持ち寄って、淡々と糸を績む。

これが割と、精神的な最期の受け皿みたいなところがあって、なんか世の中大変だし、いろいろあるけど、淡々と糸績んでればいいよね、っていうのが合言葉になります。

ご先祖様たちも、そんな気分でどっしりと、周りに左右されず生きていたのでしょうね。

糸の績み方も、小さな積み重ねを繰り返すことで、非常に頑丈で強いものになります。

糸ってね、始まりと終わりがあるんだよ。


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