見出し画像

私が会社員をやめた理由

私は大学卒業と同時に結婚し、精神科の病院へ就職した。

社会人3年目で子どもを妊娠し、1年間の産休育休を経て、職場復帰した。

子育てと仕事の両立は最初から困難を極めた。子どもの発熱で何度も保育園からの呼び出し。その度に上司や担当している利用者さんへ、休ませてもらうのか、振り替えにさせてもらうかの連絡をし、別のスタッフに引き継ぐ場合には申し送り業務があった。つまり、保育園から呼び出しされても「すみません、コレで失礼します」とすぐに帰れるわけではなかった。

母としての役割と社会人としての責任

子どもの体調がいつ良くなるのか分からない状態で、次の日以降もいつ出勤できるか見通しが立たず、弱っている子どもを看病しながら、職場への対応が常に頭の中にあって、ソワソワした状態だった。

私の実家は遠方で、義両親は現役で働いており、子どもの対応をお願いすることができなかった。夫に子どもの対応を相談しても、仕事が忙しいらしく「難しい」のひと言。

当時は私一人でどうにかしないと思っていた。いざとなった時の頼る場所として、病児保育を2箇所登録することにした。2箇所ともとも自宅から電車を乗り継ぎ30〜40分かけていく施設だった。正直、行くだけで面倒だとは思ったが、社会人として会社に迷惑をかけないようにしたかったので、他に選択肢が思い浮かばなかった。

病児保育を利用するのは意外と大変だった。当日の朝に一度病院につれていって、小児科の診察を受けてから病児保育施設につれていく必要がある。

体調が不安定な子どもに食事をさせて、ぐずる中着替えをさせて、急いで病院へ連れて行く。病院の診察が開始する9時の時点で会社の就業時間は過ぎている。時計を何度も見ながら、「早くしなきゃ」と気持ちは焦る。

子どもを抱っこしながら、朝の人が多い電車を乗り継いで施設へ向かうが、普段利用する保育園ではないので、着替えやタオルなど必要なものが多く荷物がいつもよりもかさばる。重い荷物と子どもを抱っこしながら、「ハァハァ」と息を切らしながら、足早に向かう。ようやく子ども預け、急いで職場へ向かう。雨なんか降られるともう足元も気持ちも最悪だった。

仕事が終わった後も、施設に子どもを迎えにいってから帰路につく。いつもよりも随分と遠回りすることになり、帰宅した時にはすでにぐったりしていた。

本当に疲れた。消耗した。自分を鼓舞しつづけないと、子どもに笑顔で接することができなかった。

ここまで苦労して預ける必要はなく、休んでしまえば良いと思うかも知れないし、私も振り返って書いていてそう思う。こんなに苦労してまで、子どもを預けて働く必要があるのか疑問に思う。

しかし、当時の自分は社会人である以上、責任を果たしたかったのだと思う。子どもの病気を言い訳に当たり前のように休んではいけない。言い訳をするのは弱い人間がすることだから、言い訳せずに、できる限りは他の人と同じように働かないといけない、そう思い込んでいたのだろう。

限界

子どもの胃腸炎をもらったことがあった。

仕事の途中に上からも下からも何かがあふれ出そうになり、歩くのもやっとだった。それでも頼れる人がいなくて、保育園のお迎え、ご飯の買い物を1人でこなさないといけなかった。フラフラになりながら気合いで生きていた気がする。

仕事と家庭の両方を1人でこなすのは、大変だった。というか無理だった。

子どもと二人で家にいた時に、一度ついに自分の限界を超えて、泣き叫ぶ子どもを叩いてしまったこともあった。「このままじゃいけない」と一緒になってワンワンと泣いたこともあった。

2人目が産まれ、再び育休期間に3人目を妊娠した。家族のためにすることは増えるが、手は増えないので、今まで以上に効率よく動いて、頑張る必要があった。

会社員に復帰したら、今まで以上に毎日バタバタして、望んで産んだ子どもたちにイライラしてしまう光景が容易に想像できた。恐ろしかった。

だから、私は会社員をやめることを選んだ。後ろ髪ひかれる思いはあったが、心に余裕のある状態で子育てがしたいという自分の気持ちに素直になることにした。

両立を求めて

仕事のことを気にせずに、子どもに向き合うことはできるようになった。しかし、無いものねだりなのか、ずっと家にいると、「働きたい」と思うようになった。

自分の力で稼いで自分にも価値があるということを自分にも証明したかった。何よりも誰かの役にたって喜んでもらうことで、自分という存在を社会とつなげたかったのだと思う。

医療系の専門職なので、仕事はいくらでもあった。すぐに医療機関に戻ることもできた。しかし、再び会社員に戻りたいとは思えなかった。

好きな時に働けて、休んでも誰にも迷惑をかけない仕事が理想だった。だから会社員ではなく、個人事業主として仕事をスタートさせた。

会社員ではないので収入が保証されるはずはない。自分で売上を作らなければ当然収入はゼロだった。不安定な立場ではあるものの、子育てしながらの働き方として可能性を感じていた。

子どもが体調悪い時は、誰にも迷惑をかけずに休むことができる。何かを気にすることなく看病に専念することができる。決まった出勤時間もないので、朝の「早く準備して!」という殺伐とした会話もない。それだけで幸せを感じることができた。

私は運よく、個人事業主として自分にフィットするオンラインでコミュニケーションをする仕事に出会うことができ、自分の好きな時間に好きなだけ働き、ありがたいことに会社員時代よりも収入を得ることもできた。

しかし、私にとっては、収入や安定性よりも、ワークライフバランスを取れる仕事に出会えたこと、好きだったコミュニケーションの仕事に出会えたことが人生を変えるきっかけになった。

働き方改革という言葉がこれだけ当たり前とされているにも関わらず、「自ら働き方を選択している」という人はまだまだ少ないように思う。

特に私のように子育てと仕事を両立させようとする人にとっては、世の中の仕事のほとんどが何かを犠牲にしないとできないように思う。

しかし、素晴らしい可能性と働きたいという意欲をもった人はたくさんいるはずである。だから、私は決まった時間に外に働きに出られない人にとって、働けるチャンスを作りたい。

元専業主婦の起業家の夢物語だけど、絶対に喜んでくれる人がいると信じている。だから、きっと私一人では無理でも素晴らしい仲間や応援者の力をかりて実現することができる。それも私が信じている未来だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?