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『玉手箱』

などと、これを作った当時、名づけたんですね。

作業部屋をちょこっと整理していたら、ふと目に留まりました。
部屋の隅っこに置いてあるので普段から視界に入っているのだけど、視覚の認識外にあるといいますか…。重いから触らない。

20年前は、子育てが一段落したら、また自分は陶器を作るだろう…などと考えていたし(あ、先週20歳になったんです)、ロクロも釉薬も化粧土や乳鉢など一切のものを引っ越しの度に一緒に移動してきましたが、今は手ロクロすら手放してしまいました。

とにかく、世話がやける土。
水と空気との戦い、みたいな。
(「何を大袈裟な」と思われるかもしれませんが…)
制作途中は湿度を保つためビニールで覆います。そして、土の中の水分を均質に蒸発させるために、数時間後には上下を「ひっくり返す」作業を必ずしなければなりません。大きいものは、素焼きまでに「ひっくり返す」を何回か繰り返します。さらに冬は、0度以下にならないようにそれでいて急乾燥しないように、豆電球をつけておきます。
2~3時間おきに授乳をする母乳育児をしつつ、これも同時進行するなんて根性は、私には無かったのです。
それに、「ロクロ成型」と簡単には言いますが、信楽の土のように石が混ざった粘土は、指がキレッキレッになるんですよ、奥さん!!
冬なんて、赤切れを超えてもう…。

製陶所(20年以上ぶりくらいに拝見。現社長は同い年で、京都の陶工高等専門校を出ている窯元の子ならではのドラ息子、じゃなくてエリート。若干の嫉妬を込めてますが(笑)。よく頑張ってるなあと思います。)にいた頃は敷地内のアパートに住んでいたので、勤務後でも、注文が多い時は、「ちょっと手伝ってくれへんか~」と言われ、この「ひっくり返す」作業を手伝いました。すごい数をひっくり返すんです。大きい壺もあります。全てが、手に取りやすい場所に並んでいるわけでもありません。

毎日手伝うことはありませんでしたが、私がいた頃の元社長の奥さん(現社長の母)は昼間は作るし、毎晩毎晩、何年間もこの「ひっくり返す」という地味で大変なことを続けていて、キツイ性格で情緒不安定で好きな相手ではなかったですが、こういう見向きもされない大事な作業をひたすら続けているというところは、今でも頭が下がる思いです。

まあ…クドい模様。
どうにか個性を出そうなどと思い、こんな模様を描いてた…かな。

本当は売りたかったのですが、焼成後「切れ」ができてて、売り物にできませんでした…。
少し大きいので、水分の蒸発が均質に進められず「水」に負けたのと、へたれないように生地に厚みを持たせたので、土の中の抜けきれてなかった「空気」がはじけてしまったのです。
技術が足りてなかったということです。
そりゃ、そうです。これは窯業訓練校の卒展(エネルギッシュな同期有志による企画)に出品するために作ったんです。窯業を勉強して1年にも満たないのに…、わりとチャレンジャーな私。

完成までの作業の割合は、私の感覚では粘土や水の掃除、道具の手入れ、土の再生(できるかぎり捨てません!)や釉薬の処理、作成中のお世話など「成型」以外の裏方作業が8割、焼成が1.8割、「絵付け」や「成型」など例えばお教室の生徒さんが「楽しい」と思ってくれているところは、ほんの僅かな割合です。

でも、訓練校でも製陶所でも、必ず掃除してから終わるとか道具の手入れを怠らないとか裏方作業を仕込まれたおかげで、本来、ぐうたらな私が少しはマシに何かを作れるようになったのだろう、と思えます。

で、蓋を何年かぶりに開けて…。
あ、こんな所に入れてたんだ、と。
母の形見の宝飾品(安物でしょうが…)と夫がマチュピチュに調査(マチュピチュは年々わずかに地すべりしているのです!)で行ったとき、小銭を使い切るために買ったなにか。

ちょっと『玉手箱』感がありました。



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