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坂戸日記 2024.02.10

2024年2月10日、晴。

夜、近所のスーパーの閉店間際に買い物に急いで行った。既にいつも使っている側の出口はロックされていたので、慌てて走ってもう一つの入口に向かった。そしてこけた。パタリロのマンガのような姿勢でこけた。

一瞬、以前手をついて肩を骨折した記憶がよみがえり手を前に出した。おかげで手の方は右手首を若干痛めた程度で済んだ。けれども左胸を激しく打った。10日ほど前のことだ。眼鏡も吹っ飛んだ感じで外れたので、最初に心配したのは眼鏡のことだった。

つっかけのようなものを履いていたのも良くなかったし、既に閉店かと慌てたのも良くなかったのだろう。あまりに見事にこけたので、次に心配したのは、誰かに見られたのではないかということだった。少し離れたところに男性が一人いたが、こっちを見ないようにしているように見えた。

買い物を無事に済ませ、痛てぇなぁ~と思いながら帰宅した。躓いてこけたのは誰のせいにもできない。足の指をベッドの足にぶつけるのにも似ている。『人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ』 おっしゃる通りだ。

したたかに打った胸は10日以上経っているのに痛い。寝返りをしても痛い。福祉系の複数の知り合いに話したら「肋骨にひびかもね」という。「でも、あれ、どうしようもないのよね」ともいう。同感だ。

ものすごく痛ければ医者に行くのだが、なんとも微妙に痛い。息を吸うぐらいでは痛くないし、寝ていても腕の角度で痛くない。でも、ときどき、波のように痛いなぁ~と思う。笑っても痛い時間もある。笑いごとではないとはその通りだが、その痛さは微妙だ。

人生や思い出の痛みもそういうことかもしれない。抽象化することで自分をごまかしている。

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