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坂戸日記 2024.05.27

2024年5月27日(月)曇。

午後から雨が降ると昨日の天気予報では言っていたはずなのに、午後から薄日さえ差してくる。仕事の合間に鉢で育てているバラの花を切り、食卓に置く。花のがくから花軸までの花柄が短すぎて、いつもの小さな花瓶に挿せそうにない。仕方がないので去年、越生のお寺でみた水盆を真似て小皿に浮かべてみる。いずれにせよ、咲きたてで摘めなくて、どうしても少し周囲の花びらが少し傷んでからになってしまう。咲いたらすぐ摘むのは勇気がいる。

仕事の合間に何問か統計の問題を解く。理屈が自分の中に染みていないのに問題を解くのもどうかと思うが、不思議なことに問題を解くことで言葉に慣れるということもある。言葉に慣れてくるという実感は少し心地良かったりする。

中学生の頃や高校生の頃、別に数学は苦手ではなかったが、苦手だと思う人はきっと言葉に慣れていないか、言葉にこだわり過ぎてしまったのかもしれない。自分もことばにこだわる方だが、こだわる-こだわらないとは別の軸がことばとの関係にはあるのかもしれない。

昨日から、レイチェル・ジョイスの『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』を読み始める。帯には「年金暮らしの老人が1000キロの道を手ぶらで歩く」と書かれているから、たぶんそういう話だとは思う。ただ、主人公が65歳で自分の年齢とそれほど違わず、それが翻訳ではいかにもの老人のように描かれているので気持ちが乗らない。先日から《衝動》についてモヤモヤと考えているが主人公の《衝動》に今のところ共感できない。困ったものだ。

松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発したのが芭蕉46歳のとき。歩いた距離は2,400 km。イギリスの南から北はきっと1,000 km。でも札幌から函館は300 kmで、1,000 kmは1往復半。微妙だ。

オマエは歩けるのか?と言われれば、確かに最近は1日に12 kmほど歩くとヘロヘロになる。それはこの前確認した。1,000 kmを歩くには、3ヶ月はかかる。以前は20 kmは歩けたのに。

ハロルドがどうなるのか。既に2日目にしてかなり靴ずれをおこしている。どうなることやら。

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