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アメリカ交響楽

同じ映画でも何年かしてみると違う思いを抱くことがある。

『アメリカ交響楽』は、30年ほど前に年長の友人の三宅さんが、「岡田ぁ、『アメリカ交響楽』は観たか?」というので、「三宅さんがそんなに言うなら観てみようかな」と観た映画だ。

前半のラプソディ・イン・ブルーの初演のあたりまで、パターンだな~と思いつつ、女優陣も好みだし、面白かった。そして「なんで今まで観てなかったんだろう」と思った。この手の話は好きなのだ。けれども、月日がたち、『アメリカ交響楽』を薦めてくれた三宅さんも亡くなってしまった。

『アメリカ交響楽』は、「ラプソディ・イン・ブリー」や「巴里のアメリカ人」「ボギーとベス」などアメリカを代表する作曲家であるジョージ・ガーシュインが、作曲家を志し、夢を追い求め、亡くなるまでの苦難を描いた音楽伝記作品だ。一方、映画を薦めてくれた三宅さんは、同じく作曲家であり、才能に恵まれていたと思うが、世間から多くは知られることなく、寂しく世を去った。

そんなことを思いながらこの映画を見ると複雑な思いにとらわれる。映画はガーシュウィンが亡くなり追悼の音楽会でラプソディ・イン・ブルーが演奏されるシーンで終わる。

追悼では「音楽が存在し続ける限り彼もまた永遠に生きつづけます。彼は世界に愛され人々に愛された幸運な男でした。彼の才能はいかんなく発揮されて、愛するアメリカに声を与えました。不滅の曲を通して彼は永遠に歌い続けます。作曲されなかった曲もたくさんあるでしょう。」と語られ、ラプソディ・イン・ブルーが流れる中、友人・知人と愛し愛された人のクローズアップ、そして野外ステージの驚くほどの数の聴衆が映し出された後に空の風景が描かれて終わる。

この映画を三宅さんに薦められてみたあの頃、この終わり方がこんなにも哀しいと思うとは考えてもいなかった。

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