見出し画像

話すとはどういうことなのだろう

1月1日に地震があった。1月17日で阪神・淡路から29年がたった。なんだかつい最近のように思い出される。

そのことを仙台の人に話したら、「阪神・淡路のときは学生で、自分はまだそのとき神戸には行ったこともなかったから、あんまりわからなかったんだよね。東北の地震が起きて初めてわかったよ」と言っていた。確かにそんなものかもしれない。

阪神・淡路のとき、私は垂水区霞ヶ丘というところのマンションに住んでいて、窓からは明石海峡と淡路島が見えた。つまり、震源が見える場所に住んでいた。 

阪神・淡路は断層型で、垂水区は断層の延長上にあった長田や六甲道ほどは被害がなかった。もちろん震源が見える近さだから余震ゼロで、地震の音と自分の声とで布団の上で飛び上がるように目が覚めた。

周囲は暗く、淡路島には灯りがみえた。海峡のこちら側は真っ暗で、だから自分たちは地震の中心にいたのだと思った。

しばらくそのままでいたが、少し明るくなってきて部屋の様子を見ると、畳の部屋のアップライトピアノの足が畳に突き刺さって斜め60度ほどの角度になっていた。

阪神・淡路は都市直下型の地震だったが、激震でなかったエリアの人たちの言葉を私はなぜか遠いと感じた。大阪の人に「うちも揺れたよ」と言われてもなにか違う。その違う感じがいまでも伝えられない。《わかる》ということはそれほどに難しく伝えにくい。

日本に与えた影響という意味では、阪神・淡路より東北の地震の方が大きかったのだろう。原発や津波のリアルな映像によって自分事に感じた人が阪神・淡路のときより多かったからだ。

阪神・淡路、中越、東北、熊本、能登と、辛い経験を重ねるたびに、いろいろな地域の人が、それを自分ごととして考えることが増えた。それは、辛いけれども少しずつ何かが良くなっていないわけではないことも意味する。

阪神・淡路のときも、しばらく電気が止まっていたので、自分たちにはこの地震がどのように報道がされているかはわからなかった。地震の全貌も理解していなかった。

うちは須磨の山が東に見える場所にあった。あの朝、その須磨の山頂が小さく噴火するように、白い煙がたなびいているのが見えた。そのあと、何か白いものが降ってきて、「あれ、雪?」と思ったが、それは白い灰だった。いまから思えば、長田の火災の灰だったのだ。

「どこかで火事?」とは思ったが、須磨の山の向こう側、距離にして7-8 kmしか離れていない長田が実はあんな風に激しく燃えていたとはまったく思わなかった。私や同じマンションにいた同僚(社宅だったので)は、自分たちのエリアがもっとも被害が大きいと思っていたのだ。それが、きっと認知バイアスというものなのだろう。

電気が通ってニュースが見られるようになると、ずっとテレビを見ていた。NHKの神戸支局のアナウンサーはいつも同じ人のように感じた。朝も昼も夜も。この人はいつ寝ているのだろうと思った。

何年か経って、たまたまNHKの食堂で、その人が目の前に座った。カレーを食べようとしていた。私、おもわずその人の手を取って、「あのときは本当にありがとう!」と言いたい衝動に襲われた。

でも彼は私を知らないのだ。さすがに・・・と思い、話しかけずに私も黙ってカレーを食べた。今思うと、やはりお礼を言っておけばよかったと思う。

つい最近まで借家ぐらしだったのも、「昨日引っ越したマンションが壊れてしまいました」という報道をあのとき何度も目にしたからだ。それは大げさではなく、最近家/マンションを買ったばかりなのに・・・という人は、実際、身近にもたくさんいた。昨日までの当たり前が突然断絶してしまうことが、こんなに簡単に起こるのだと実感した。

ある意味、人生観や仕事に対する考え方も、あのときを境に微妙に変化したと思う。「なんのために生きているのか」とか「なんのために仕事をするのか」ということを、哲学とかそういう抽象的な意味ではなく考えたりするようになった。震災や戦争とはそういったものかもしれない。 阪神・淡路は1995年。もう29年も前の話だ。

神戸の人たちは、その後、2007年に『地震イツモノート』という本を作った。神戸大学を中心にしたボランティアグループが、実際に地震を経験した人たちに対して行ったアンケートとインタビューから作られた一風変わった防災マニュアルだ。

自分たちがどう感じたか、どう思ったかを素直に伝えたかったのだろう。だからこの本は、地震の専門家による「正しさ」よりも、体験の生の声や感覚にもとづいて作られている。

たとえば地震が起きた瞬間。今までに体験したことのないその瞬間の何が起きたかわからないという正直な感想が描かれている。「宇宙船が落ちてきたと思った」「飛行機が落ちたと思った」「六甲山が噴火した」「地球規模の何かが起きた」というような感じだ。

「何かを伝える」というのは、地震のような災害でもそうだが、普段のことになるとなおさら難しいことだと思う。伝えられない言葉、ずっとモヤモヤと考え続けている。

2011年にRUN伴というイベントが始まった。縁があって少し応援するようなことを何年かした。

RUN伴で一番印象的だったのは、1年目か2年目の頃、よく覚えていないが、北海道か東北のどこかの陸橋を渡ろうとしたとき、左手の畑におばあちゃんっぽい人が椅子をだして2人くらいポツンと座っているのが見えた。

何か書いたものを持っていて、それには「来てくれてありがとう」というようなことが書いてあった。

阪神・淡路のときのNHKのアナウンサーのことをなぜか思い出して、車を戻して「こちらこそありがとう」って言いたくなった。でも、陸橋を渡っているところだったし、Uターンもしにくいこともあり、結局、そのまま、戻らなかった。やっぱり戻れば良かったと今は思う。

こういう話は、別に私にかぎらず、RUN伴に参加した人や企画に携わった人、さらにいえば福祉の仕事をしている人はみんな持っていると思う。

RUN伴に限らずなのだ。普段の仕事の中でも、きっとそうなのだ。そこが私が携わってきたコンピュータとかソフトウェアとかの仕事とは少し違う。

一方で、RUN伴を横から眺めながら思ったのは、「いい話はいっぱいあるのに、それはみんなポケットに入れている感じ」だということだ。みんな、そういう話はあまり話さないか、特殊事例のように属人的だ。

課題解決が求められるようなことについは、解決策について属人化から離れて(ときどきは離れすぎながら)みんな一生懸命話すのだけれど、「ああ、そういうことは、さりげないけれど大事」ということはあまり広がらない。きっとみんな「それは当たり前」と思っているのだろう。外からみるとまったく当たり前ではないのに。

RUN伴のよいところは、そういうよい部分が、目に見える形になることなのかもしれない。

阪神・淡路の体験をインタビューやアンケートから作った『地震イツモノート』もそうなのだ。『地震イツモノート』には、「すごくびっくりした」、「こんなに大変だった」ということが書かれているが、そこには生の声があり、生だけれど、どこの誰が言ったかはわからないけれど、「宇宙船が庭に落ちたかと思った」という言葉はとても伝わってくる。

慶應大学の井庭さんと研究室の学生さんの人たちと作った『旅のことば』の企画のきっかけは、この『地震イツモノート』だ。

『旅のことば』は、学生のみんなや井庭さんが、認知症の当事者の人や家族やそれを支える人の生の声を聞いて感じたことからできている。専門家による「正しさ」よりも、学生のみんなや井庭さんが、その言葉をどう受け止めたかを大事にしている。

『旅のことば』は、クリストファー・アレグザンダーという人が、考えた「パターン・ランゲージ」の考え方を使っている。クリストファー・アレグザンダーは、数学科を卒業してから建築科になった人だが、公園とか建物をつくるとき、専門家だけで考えてはいけないということを言っていた人だ。もちろん、公園や建築などの構造物を作る行為には専門性があって、一般の人にはわかりにくいし伝えにくい。

だから、アレグザンダーは、「美しい」とか「心地がよい」とかを生み出すための専門的で技術的な要素を、一般の人にも感覚でわかる言葉で表現できるようにしたいと考えた人だ。専門家がわかりやすい言葉では表現していないものを、「パターン・ランゲージ」という「美しい」とか「心地がよい」ことに関する言葉の集まりで表現しようとしたといえる。

東北の震災の後に、中埜博さんという人が、クリストファー・アレグザンダーに彼の自宅でインタビューしたときの映像がある。インタビューは、中埜さんとアレグザンダーは、「多くの国々で、人々が失望感にとらえられている。どうすればよいのか」と話したあとに撮られたものだ。

アレグザンダーの返答はこんな風に始まっている。

それは、美しいとはなにか、そして正しさとは何かということです。大変子供っぽい疑問ですが、私はもう十分、歳もとりましたし、そう言われてもかまいません。

「美しいとは何か」という話題は、確かにちょっと気恥ずかしい。でもアレグザンダーはこうも言っている。

私の助言は、何かを決定するとき、何かを作り出すときに、そういった活動すべてに、いつでも、それが、本当にあなたの内部からにじみ出る美しさに裏付けられているかと、問うことです。

ちょっと耳が痛い。「本当にあなたの内部からにじみ出る美しさに裏付けられているか」と問われると、「どうもすいません」と謝りたい気持ちになる。「私の内部からにじみでる美しさのことを忘れてしまっている。あるいは気づかなくなってしまっている」と私が感じるからかもしれない。

アレグザンダーはこうもいっている。

心の内部からにじみでる美しさに、あなたは、今、貢献しているかと、問う事です。たとえそれが、何かの行動でも、発言でも良いです。それは、絵を描くときであっても、詩を詠うときでも、何であっても。それは、老人をバスに乗せるために手伝っているときでも、同じ問いです。心の内部からにじみでる美しさにあなたは、今、貢献しているかと、問うことです。

新型コロナの影響は、それでも少しずつ収まり、世間はだんだんと平常にもどりつつある。でも、どこかモヤモヤするのだ。「平常」とは何かと。

「人と人とが直接会えなくなっていた。それが会えるようになった。良かった、良かった」 

それって本当なのだろうか。もちろん、たぶん、本当なのだとは思う。でも、それで全てが丸く収まったのだろうか。私たちは「平常」の中で、「美しさ」を取り戻せたのだろうか。そもそも、その前に「平常」だと思っていた頃、私たちは、「美しさ」を大切にしたり、「美しさ」について話していたのだろうかと。

普通に人が会って普通に話ができる。それは確かに悪くない。よいことだと思う。でもその人達は、本当にお互いのことを知っていたりするのだろうか。大切なことを話しているといえるのだろうかと。

「美しさとはなんて飲んだときにする話さ」とも思う。でも、お酒を飲まない人はどうしよう。家族とだって気恥ずかしくて話せないけれど。

なんか、もっと、みんな話をすればよいとは思う。新型コロナの前、ワークショップをよくやった。「3分ほどお隣の人と話してください」とお願いすると、初対面の人同士でもわーっと会場が渦を巻くように話し声であふれた。人は人と話したいのだと思う。

話をするってどういうことなのかとも思う。私にはそれが何かよくわからない。「傾聴」とも違うような気がする。

ネットでカリスマホストのインタビュー記事を読んだ。

「村上春樹さんの『ノルウェイの森』は全てのホストが読むべきバイブルのような本」「主人公のワタナベのような男性でないと歌舞伎町のホストとしては生き残れません」と言っている。私はその本を読んでいないが、「(主人公の)ワタナベの受け身の姿勢がホストでは大事なんですよ。彼は女性をどうにかコントロールしようとしない。男性側から喋るというより、基本的には女性に話をしてもらって受け答えをしているスタンスですね」とも言っている。

「 ホストには自分はいらない」とも言っている。「いいんじゃないですかね、優柔不断で。僕たちホストは長い関係性を保つ上で、自分の意見なんて持ってちゃいけないんですもの。何考えてるか分からないくらいでいいと思う」

たしかにその人の言っていることは一面の大切さを表していると思う。でも、何かモヤモヤする。人と人とが話をするというのは、本当にそんなスタンスのものなのかと。「傾聴」の大切さを思いながら少しモヤモヤすることと似ている樹がする。

アレグザンダーは、ビデオの中で「しかし、あの緑の木々の葉の木漏れ日は、決してあなたの「こころ」から、切り離すことはできないのです。」といっていた。大切なものをお互いに共有したり共感したり、なるほどそうだと思うためにはどうしたらいいのだろうか。

勝間勝代は本当か嘘か「夫婦が一日6分話さなかったら離婚の危機」と言っていた。「朝ご飯なに?」「パン」。これは1秒と数える。6分はかなり長い。

別にうちが離婚の危機だということを言いたいわけではない。言いたいことは、私たちが仕事でも家でも要件以外のことをどれくらい話しているだろうということなのだ。そして、話すためにはどうしたらいいんだろう、どうなったら話せたと感じられるんだろうと。そんなことをずっと考えている。

阪神・淡路の地震の後からRUN伴が始まった2011年頃までのあの頃も、ずっとモヤモヤと考えていた。

今は、アレグザンダーが言っていた《問い》のようなもの、それを共有したり、話したりするやり方のことをモヤモヤと考えている。

そんな話をRUN伴の企画を始めた人たちに尋ねてみたら、「美しさとは自分で決められるのだろうか」と問われた。確かにそうだよなと思う。

リサーチクエスチョンっぽく、あえて《対話》という言葉で括ると、私のモヤモヤは、下記のような感じだろうか?

  • 対話を育てるとはどういうことか

  • 対話を根付かせるためには何ができるか

  • 対話のコミュニティを作るにはどうしたらよいか

  • 対話の深さは何で決まるのか。

  • プールの底に手が届く感じを得るためには何ができるか

  • 対話とは相対するものか

  • 同じものを眺めためにはどうしたらよいか

  • 問いはどこから生まれてくるのか

  • 対話や価値を評価するのは誰か

  • 対話や価値は評価できるのか。できるとしたらどうやってするのか

もやもやは続く。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。