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ロマン派の時代

クラシック音楽の"古典派"と"ロマン派"の違いがよくわからなかった。”わからなかった”と過去形で書いたからと言って、"今はわかった"というつもりはない。ただ、以前よりもぼんやりと少しだけ腑に落ちた気が最近する。

クラッシック音楽(西洋音楽)の歴史を問われれば、中学校の音楽室に飾ってあった額の中の作曲家たちのイメージはあっても、「バロックって何? 古典派って? ロマン派って?」と尋ねられればテへへと笑い、「えっと、バロックはテレマンとかバッハ? 古典派はハイドンやモーツァルトやベートーベン? ロマン派はショパンとかシューベルトとかチャイコフスキーとか?」と、語尾を上げる疑問形で答えてしまう。

きっとそれが普通だし、歴史上の区分なんて切り取る補助線で変わるものだと開き直ることもできる。でもやっぱり気になる。なぜベートーヴェンは古典派と言われ、なぜチャイコフスキーはロマン派なのか。

wikipediaを引くとさらに混乱する。

理性を重視する啓蒙時代を背景に楽曲の均斉感と合理的な展開が重視され、ソナタ形式が発展した。また機能和声法が確立され、調性が教会旋法から独立した。この時代の代表的な楽種として、交響曲や協奏曲、ピアノソナタや弦楽四重奏曲などが盛んに作られた。
古典派音楽の盛期はバロック音楽とロマン派音楽の間に位置しているが、実際には古典派音楽の始まりはバロック音楽の終焉と、古典派音楽の終わりはロマン派音楽の勃興と並行している。古典派の潮流は1730年頃にフランスのギャラント様式から始まるが、バロック音楽を代表するヨハン・ゼバスティアン・バッハやゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルはまだ存命、活動中であった。また、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの死(1827年)をもって古典派の終わりとする考えもあるが、ロマン派とされるフランツ・シューベルトやカール・マリア・フォン・ヴェーバーもほぼ同じ頃に死去している。

wikipedia 古典音楽

よくわからないので、"バロック音楽"、"古典派音楽"、"ロマン派音楽"と順に検索するとさらに混乱する。

ひとつだけわかることは、要はこれらを区別するわかりやすい判別式がないのだ。バロック・古典派・ロマン派について混乱する気持ちになる自分が許せる気持ちにもなれて安心する。

もちろん、《学問的には・・・》とか《常識的には・・・》ということはあるのかもしれない。でも、《なんだかよくわからないけど・・・》というのもありかもしれない。そう思うのだ。

人は"わかりたい"と思う。少なくとも私はそうだ。"区別したい"という欲求も抑えられない。そしてどこかに"答え"があるのだと信じて尋ねまわってしまう。本当はどうでもいいのに。

その時代に生きた人が「オレは〇〇派」という自覚をどんな風に持っていたかは曖昧だし、後の世の分類と当事の人々の感覚はおそらく違う。

だから、私は思う。その人(たち)はなぜそんな風なものを作りたいと思ったのかと。何を大切だと考え、工夫したり、挑戦したりしていたのかと。私たちからみれば過去の偉人でも、彼らが生きた時代においては彼らは現代人であり、生身の人だ。

彼らがそのときにどんな風に考えていたのか。

それは《答えのない質問》だ。私にわかることは、彼らが考えたことが今の私に照影しているということだけだ。出来ることは考えたり感じたりしている私についての問いだ。

それさえも《答えのない質問》なのに。

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