海まで歩く(Day 4)
海まで歩く、4日目。志木からバスで行ける秋ヶ瀬橋からの再出発。海までは34.4 km。
すぐに武蔵野線の鉄橋が見えてくる。前回は武蔵野ラインまで行きたかったんだよなぁ。橋とか好き。
武蔵野線は北朝霞あたり。まもなく朝霞水門が見えてくる。デカい。近くに寄ったら画角に収まらない。
デカいから日陰もデカい。自転車で川沿いを走ってきたと思われる人もみんな休憩している。湿度が低いので日陰にはいると本当に気持ちがいい。早めのお昼(コンビニおにぎり)にする。水門からはまた別の橋が見える。戸田橋? 戸田橋だといいなぁ。
日陰に座って、あまりにもゆっくり休んでしまったので、歩きたくない。「今日はもう帰ろう」。一瞬だけどそう思う。
そんなことを思って歩いているものだから、水門までのペースの半分以下で歩いているような気がする。心的体感速度は芦屋雁之助主演『裸の大将放浪記』。「もう、歩きたくなんだなぁ。もう」と独り言を言ってしまう。一人で良かった。
水門から見えていた橋が近づいてくる。あれ、高速の緑の看板があるなぁ。ってことは戸田橋じゃない? ああ、外環かぁ。調べてみると、橋の名前は「幸魂大橋」。
幸魂? 厨二? それとも夜露死苦っていうノリ? さきたまおおはし?
ダジャレかよ!
Wikipediaによると・・・
ふーん。まぁねぇ。ダジャレは日本の古典芸能だからねぇ。文化だからねぇ~。お正月のおせちも「マメに励む」とか「よろこぶ」とかダジャレのオンパレードだからねぇ。でも、申し訳ないが、私にとってはやっぱり、「厨二病、夜露死苦!」だよなぁ。
ブツブツと歩いていると次の橋が見えてきた。海まで30 kmを切った。
意味もなく、アングルを変えて撮ってみる。飽きたんです。はい。でも発見もあった。この赤い橋の名は笹目橋。これも首都高速5号線が並走している。そしてここから荒川は上流と下流の管轄が分かれる。そうか笹目橋あたりが境目なのか。知らなかった。しかも橋をくぐると練馬区。おお、埼玉から東京に入ったんだね。
このあたりに来ると、河川敷はすっかりゴルフ場か野球かサッカーのグランドだ。河川敷を野球やサッカーのグランドにすることについて、運動が嫌いな私は常日頃憎んでいたが、まぁ、考えようによっては地震が来たら広い土地は必要だからね。裸の大将もちゃんと時代をみているさ。緊急用河川敷道路なんて標識もあるし。
東京都に入ったら、なんだか看板が多い。海までの展望が見えてきた。いま笹目橋を過ぎたところだから、戸田橋を過ぎて、新河岸川が合流して隅田川と分れるシン・荒川大橋で右岸から左岸に渡ろう。そして、千住、堀切、押上を過ぎ、船橋を抜ければゴールの葛西臨海公園だ。隅田川に入って、向島で桜餅を食べるというのも魅力だけれど、今回は荒川を海まで歩く。ストイックに行こう!
だいぶ疲れてきた。海まで26 km。高島平で帰ろうかなぁ。でももうちょっと歩こう。確か、このあたりは戸田橋花火大会の会場のはずだ。ちょうど40年前に、ドロシーと高島平の叔母さんのところに寄ってから花火を観た場所のはずだ。どのあたりで観たのかなぁ。
戸田橋が見えてくる。今度こそ戸田橋だ。意外に短い。新幹線も並走している。そしてちょっと汚れている。国道17号(中山道)の渡しなので、まぁ、それなりに古いのだろう。40年前に花火を見に来たときもあったからなぁ。でももっと新しい印象だったのに。
そうか1978年完成。あのときはまだ出来て6年ほどだったのか。
さすがにもうダメ。北赤羽あたりまでと思っていたが、その一つ手前の浮間舟渡でリタイアしよう。海までは25 km。結構、頑張ったと思う。浮間公園が結構きれいでいい感じだった。でももうヘロヘロ。
浮間舟渡駅は北区最北端かつ最西端の駅で、JRの東京都区内最北端の駅でもあるとのこと。埼京線で池袋回りで帰るのかなと思ったら、ルート案内は武蔵浦和から朝霞を回れと教えてくれる。そうか、ここはまだ埼玉が実効支配している土地だったのか(私見です)。