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封蝋(シーリング・ワックス)

ドロシーとイタリアのボローニャに行ったことがある。子どもが3歳くらいの頃だ。「お父さんとお母さんはお仕事だから、ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃんの言うことを良く聞いて、いい子でお留守番しているんだよ」と子どもには言って出かけた。

私は仕事だったが、ドロシーは《たまたま》同じ時期にイタリアに行き、《たまたま》飛行機は同じで《たまたま》席も近く。《たまたま》同じホテルだった。

ボローニャで「晩ご飯はどうしよう」という話になり、「イタリアなんだからスパゲティーだよね」ということにした。ドロシーはナポリタンを注文した。

ドロシーは昔からちょっと空気を読まないようなところがある。築地の乾物屋で「スーパーの方が安いかも」と言ったこともある。乾物屋のオヤジさんはちょっとムッとした感じの江戸弁で、「うちはさ、昆布《も》売っている店じゃないんだよ。昆布《を》売っている店なんだよ。昆布《を》選ぶのは俺の方でやるから、お客さんは店《を》選びゃーいいんだ」と返した。どうなることかとヒヤヒヤしたが、ドロシーはまったく空気を読まずに「こっちの昆布とそっちの昆布、どう違うの?」と無邪気に返すものだから、最後はなんだかオヤジさんと意気投合していた。

ボローニャでは残念ながら意気投合には至らず、ナポリタンの注文に対して店主は「うちにはそういうのはないね」と冷たく答えた。美食の街ボローニャで誕生したというボロネーゼではなく、ナポリの名を冠するものを注文するのは勇気がいる。

勇気のない私が「ええっと、ボロネーゼあります?」と訊ねると「あるよ」と店主は答えた。出てきたボロネーゼは思ったより塩っぱかった。

ボローニャで《たまたま》二人で歩いていたら、こぢんまりとした文房具屋があった。店に入ると封緘を蝋でする封蝋(シーリングワックス)を売っていた。映画やアニメでは見たことがあるが、「文房具屋にあるということは使う人がいるのかなぁ」と自分のイニシャルが押せるものを買った。

しばらく引き出しの中に放っておいて、そのことはほとんど忘れてしまっていたのだけれど、あるとき、たまたま銀座の伊東屋でも売っていたのを見かけ、「そういえば・・・」とドロシーと話していたところだったから、引き出しから出して、二人で封蝋にトライしたことがある。

六畳にも満たないアパートのキッチン横のテーブルで、夜遅くに蝋で封緘なんて、なんてゴージャス、王侯気分。端からみれば怪しい二人。

最初、別の蝋燭であぶってシーリングワックスを溶かしてみるが、これだとどうしても煤が混じってしまう。上から、麺棒の先につけた火を近づけてみたりいろいろするが、あまりうまくいかない。

Webを検索したら「スプーンの上で溶かすとよい」とあった。試してみると、なるほど、その方がいい。ドロシーは「妙ちゃん(古くからのドロシーの友達)への手紙に使ってみよっ」と、はしゃいでいる。

ちなみに、妙ちゃんからの手紙には、必ず、「フランソワーズ・妙子」と署名がしてある。

そういえば、一昨日がドロシーの誕生日だったが、フランソワーズからは可愛いバースデーカードが来ていた。

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