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早朝読書会

久しぶりに早朝読書会に出る。年初に書いたやりたいこと100に「早朝読書会に100回出る」があって、今日の分も勘定にいれると今年の参加回数は48回になる。まだ3ヶ月弱あるし、ぎりぎり年内に100回を達成できるかもしれない。

早朝読書会といっても、早朝にZoomをつないで、それぞれ勝手に本を読んだり、朝のルーチンをしているだけだし、ビデオもオフにしている人がほとんどだから、読書会というよりは、たぶん、もくもく会というのが正確なのだと思う。

早い人はたぶん朝の5時半からつないでいる。私は最近はよく眠れていて、うっかりすると8時くらいまで寝ているので、正直、最近はあまり参加できていない。唯一、日曜の朝は少しだけ雑談をする時間が7時からあるので、その時間にだけはなんとか参加するようにしている。その結果が年内48回に如実に表れている。いまは10月だから、月4回として40回。つまり日曜朝以外はほぼ出席できないでいる。

ChatGPT君に「早朝読書会のイメージ画像を創って」と頼んだら下記のような画像を創ってくれた。うーん、たぶん、実際とはだいぶ違う。でも、もし世間の人が「早朝読書会」という言葉だけを聞いたら、こんなイメージを持つのかもしれない。そう考えると私のイメージは少数派で多数派側にChatGPT君はいる。

ChatGPT君はきっと「元気で陽気でノリが軽くテンションの高い遊び好きの人」な「ウェイ系」なのだろう。あるいは私の薄暗い視点からすると「ウェイ系」に毒されている。

「兎角この世は住みにくい」のは、「道理や意地を通そうとすると人間関係がぎくしゃくする。人に情けをかければ引きずられてしまう」からではなく、多数派の暴力が暴力として意識されずにまかり通ってしまうからじゃないかと思う。

ChatGPT君は学習系なので、多数派が「~だよねぇ」といえばそれに流されていくのは必然なのだから、それに抗えと叫ぶことほど虚しいことはないけれど、なんだかな~と思う自由ぐらいは担保されているのは平和でいいなとも思う。つまり、関わらなければ平和なのだ。ChatGPT君の描いたような空間に入ったら、私はきっと死んでしまう。

オンラインで画像オフがオッケーな空間であれば、死ぬこともなく、今朝は、くどうれいん「日記の練習」9月と10月を読む。

30歳より若い作家なので、つまり子どもの方にずっと年が近いということになる。なんで読んでいるんだろう。偶然みかけて買ってしまったんだ。

ドロシーは朝から洗濯をしている。

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