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「ゼミ&会議でうまくしゃべれないという悩みのために」:第三回 発言にはだいたい6っつくらいのパターンしかありません。

<コメントを分類してみる:6つの組み合わせ>

 今ざっと挙げたコメントの数々は、本当にざっと挙げたものですから、このまま突き付けられても漠然とした印象しか持てないでしょう。でも、おおよそ発言の場で飛び交う言葉の種類は、次のように整理できます。
「自分の言いたいことを言う」「他人の発言を促す」の二つ、そしてその上で、「説明する」「評価してみせる」「尋ねてみる」の三つ。

 講演会のように一方的に自分の考えを伝えるだけなら、相手はただの聴き手にすぎませんが、議論するとなればこれは対話するという往復運動ですから、時には相手の言葉や論理を引き出すということが必要となります。ですから「自分で自分の言葉を引き出す」と「他者の言葉を引き出す」の二つです。
 「説明、評価、質問」の三つは、ある発言者の言った事「これはこういうことです」と説明し、「これはなかなか鋭い指摘です」と評価し、そして「これはこういうことですよね?」と確認することです。
 
 こう分けてみれば組み合わせて6種類のコメントを考えてみることができます。
①「自分の言いたい事を説明してみせる」
②「自分の言いたい事として評価してみせる」
③「自分の言いたい事を質問の形で確認する」



他者の発言を引き出す場合は、
④「他者の説明を引き出そうとする」
⑤「他者の評価を引き出そうとする」
⑥「他者の言う事を確認する」

 大体この六つしかありません。
 少しは気が楽になりませんか?
 こう考えれば、発言とは「一回完結!決まったぁ!」というようなものとは程遠い、白いキャンバスに淡々と絵具を、みんなで順繰りに塗り重ねて行くようなものだということがわかります。一発で決める事なんかできません。このあたりが、経験の浅い若い人々(悪夢のような学校の経験がまだ忘れられない人々)にはわからないのです。学生を指導していると、はっきりとわかります。

 サッカーで言えば、「まともに仕掛けても無駄だと思ったら、このプレスから抜け出して、ボールを一度ボランチか最終ラインに預けてしまえばよいのに・・・」という感じでしょうか。
 しかし、未経験者にはそれを上手にやるレトリックと「え?そんなんでいいんだ」という脱力体験が備わっていません。「この点については、正直言ってクリアーな事は言えませんけど、B君のさっきの指摘が気になっているので、もう一度説明を聞いてみたいんですけど・・・」と言えば、なんだか「それらしい」コメントに聞こえます。
 実質的には「俺は分からんからBに代わりに言ってもらってよ」なのですが、沈黙してお通夜のような場づくりをしてしまうよりも、この方が知的コミュニティとしては100倍ましなのです。自分の言葉を「気になる指摘」と言われた人は悪くない気持ちになります。気持ちの温度が上がります。勇気も出ます。

 どうしてこんな「だらだら」でいいのかと言えば、繰り返しますが、議論の場においては、正解など最後まで出てこないからです。ここに列挙したコメントのどれをとっても、前提になっているのは「結論(暫定的な判断)はまだまだ出ませんが」という留保をつけるような基本姿勢です。要するに「話し続けて結論なんか出ないでしょうけど」という認識です。拍子抜けするでしょう?

 無理もありません。この認識は、大学の教室に入って来た人たちが12年間かけて身に付けてきた基本認識と「ネガとポジ」の関係にあるからです。「正解が見つかったら勇気を出して答えを言ってみる」というトライを12年もやって来て、13年目にたどり着いた学校では、すべての発言が「正解なんか無いけど」とされるからです。

シンプルに言ってしまいましょう。
「正解などありませんから何でも言いましょう」です。

つづく。

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