”上野”という磁場について:中島京子『夢見る帝国図書館』読了所感

 地元東京の世田谷通り沿いの友人のラーメン店の定休日を利用した読書会が、今月も開催された。

 課題図書は、中島京子『夢見る帝国図書館』(文藝春秋)である。

 物書きの直面する「本を書くことの醍醐味」とは、店頭に置かれて以降、すべての作品が「人々の誤読の自由に晒される」ということである。
 それを正面から肯定するかのように、この読書会は、ある種の専門知を用意したメンバーが作品の「解説」をすることを忌避し、また我らが延々と受けてきた誤った国語教育(全ての作品には必ず「主題」というものがあると誘導し採点評価する)の罠にはまらないように、あくまでも「世界に一人しかいないあたしの視角からの風景を語る」ことに時間を費やしている。

 当然、多様な言葉が「コの字型」のカウンターの上を飛び交う。

 「鎮魂」「主体性を持つ図書館」「図書館と市民教育」「筆写という読書」「進歩という文法を拒否する史観」「触媒としての樋口一葉」「チャラい芥川龍之介」「菊池寛の切ない真面目さ」「”銀河鉄道の夜”というゲイ小説」「宮崎に暮らす喜和子さん、あるいは彼女の母さん」・・・etc.

 自分がこの話を読んで脳内に浮上したエピソードとは、「渥美清と車寅次郎と田所康雄の闇」(田所は、渥美の本名)であって、その解釈の基盤は上野にある。だから、自分はこの作品を「上野論」的視角で考えたのである。
 あの『男はつらいよ』で48作もの時間をかけて、頭脳秀才でもあり満州の原風景のお陰で”気づき”の能力すら持ち合わせた、東大法学部卒の山田洋次は、いったい何をやろうとしたのか?これは「下町の概念を誤解させた」という功罪とは別に惹きつけられるテーマである(寅次郎が使う言葉は下町言葉ではなくテキ屋言葉である)。
 おそらく山田は、異能の男(小林信彦は彼を『おかしな男』と表現した)である後の渥美清こと田所康雄少年が、戦後の焦土上野の闇市で抗争する旧勢力組織と新進の朝鮮人ヤクザ、隙間を生きる神農としてのテキ屋、なすすべもなく毎日死んで行った戦災孤児、浮浪児らの蠢き、そういった「吹き溜まり」、「魔窟」としての上野という場で、「闇よりも暗い何かと遭遇してしまった」ことを、車寅次郎によって無意識に封印させ続け、『男はつらいよ』をもって鎮魂せんとしたのだ、というのが私の推論である。
 だから逆に言えば、これほど暗い物語を展開させるには「柴又」などというただの場末の街道筋の宿場「金町の手前」まで、舞台を引き離さねばならなかったのである。

 あけすけに言ってしまえば、あの田所康雄の暗さ(したがって車寅次郎は彼にとって桎梏以外の何ものでもなかった)の端緒は、荒廃した戦後の上野で康雄が見聞きして、その挙句生きるために巻き込まれた「思い出したくもないこと」だったのだと思う。つまり、田所少年は、上野でおそらく「人を危(あや)めてしまった(に近い)」体験があったのだということだ。

 そんな上野は、徳川家の江戸が薩長の田舎侍になすがままにされることを良しとしなかった「諦めきれない105人の彰義隊の死体」が転がりまくっていた上野寛永寺跡という「魂ただよう」の場であり、そこに実にモダーンな図書館や美術館や芸術学校が作られたのである。
 そんな何かがただよう上野は、本郷の山と上野の山に挟まれた「谷中」に吹き溜まる境界線から流れてくる「何か」と、東北の鬼門としてとどめ置かれた隣の浅草の壮大な吹き溜まりにある「何か」を含めて成立する、江戸と東京が重層的に織りなす、いわば「行き場を失ってしまったすべてが存在するゾーン」なのである。

 テキ屋、ヤクザ、浮浪児、老若男女の街娼、エリートのため息、モダニズムの発散と迷走・・・。

 この小説では、「私」と不思議な縁で向かい合うことになる「喜和子さん」が、この上野との浅からぬ因縁を通じて鎮魂されるが(これ以上は言えない)、果たして星の数ほどもいた、吹き溜まってきた者たちの魂を、上野はあまねく鎮めて来たのだろうか?私には、行き場を失った者たちの霊魂がいつも取り残されて、無言かつ猥雑に飛び交っているような気がしてならない。
 私には、「上野とは何か?」という問題は、かように面白く可笑しく恐ろしく暗いものである。

 中島京子の作品は、「明治近代の発展史観」などどうでも良いのだと言わんばかりの、個々の人間の生きる切実なエピソードの「無造作なる並立」を設定すること通じて、逆説的に歴史が自由に浮上するという、驚くべき仕掛けを持っている。
 これは、「人が生きる慎ましきディテールをもう少し信頼する」ことを通じて時間軸を再生させる彼女の技法であり、それは『小さいお家』においても垣間見られるものだ。この優れたディテールをもって、彼女の作品は小説として毅立しうる。
 今回のこの作品の不可欠な背景であり地盤となっているのが、私が過剰に読み込んだ(その意味で誤読した可能性が高い)この「上野的なるもの」だったのである。

 かつて隅田川の沿岸に居を構えていた頃、100年以上も「衰退し続ける」というどこにも真似のできない道を歩む浅草と、100年以上も「破壊と再生が重層的に継続する」上野の魔境的深さ、そして、そうしたすべての霊気を避けんがために「お供の定吉を連れて隠居する先」である根岸の里の違いに、歩きながら身体的に気づいたものだった。だから上野は歩いていて苦しいのだ。
 
 かように読者は、作者の意図を捻じ曲げて誤読をするのである。そして、こうした誤読ほど享楽的な行為はない。優れた作品だけがもたらしてくれるありがたいものである。


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