卒業式が中止となった諸君へ

〜専修大学法学部岡田憲治ゼミナール論文集「指導教員による付記」〜 

 
 本年度のテーマは「日本の地方政治」である。
 指導教員の研究休暇が年度をまたいで設定されたため、3年生のゼミナール参加がなく、4年生だけの後期集中という形で行われたゼミナールであった。9月から実質4ヶ月の間にゼミ論を作成しなければならないという、いさささ厳しいスケジュールであるのに、4年生はよく頑張ったと思う。
 折しもこれを書いている最中、日本全国の地方政府は、新型コロナ・ウィルスへの対応で、疫学的かつ法的根拠に基づかない行政府のリーダーの「強い要請」に、粛々と従う物わかりの良さである。「毅立する地域」は、近代150年の終わらないテーマである。
 しかし、このゼミ論集の筆者たちのように、マクロ的な「予感」を胸に、淡々とミクロ的視点で地域の政治を観察するならば、一見国家の行政行為の指定や誘導に無抵抗に押し流されるように見える全国1800弱の自治体の気丈なる独自の息づかいが聞こえて来ている。
 劣化する中央政界における政治リーダーのあり方や、もはや仮死状態とも言える議会の機能を見るにつけ、日々絶望と諦念に襲われつつあるが、きちんと事実を確かめ、小さな、そして確実な声に耳を傾けた時、そこに若い、信念を持った、そして政治的知性を備えたリーダーたちが育ちつつあるという希望も発見できる。
 こうした静かな動きを受けて、このゼミ論集の地味だが確実な作業は、なおもファクトの積み重ねという助走と、その時代のヴィジョンという飛翔の関係を示してくれる。

 9年前の原発事故同様、微熱のような不安に翻弄され、4年生の卒業式は中止となった。誠に慚愧に耐えない。そこに我々の社会の、政治のある種の未成熟も現れている。
 セレモニーはないが、毎年卒業する者たちに伝えるのは、大学というステージを後にしたからといって、何ほどかを「卒業」したわけでもないことであり、今この時は、なおも職業社会へ歩を進める者たちに学業とは形を変えて現れる、終わらぬ課題への号砲の時であることだ。
 
 知に生きる者は、何ものも卒業できない。卒業してはならない。

 学生証を返還した卒業生と小職は、共に市民として生きていくという意味と、終わらぬ知の旅を継続するという二つの意味において、ここにまさに対等な関係となったのである。

 今後とも共に研鑽を積もうと呼びかけたい。

戦後75年(原発9年)3月11日 
検察人事をめぐる三権分立崩壊を自民党総務会が容認した翌日に


ゼミナール指導担当教員 岡 田 憲 治

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