4403下校西原

「ヒットラーは民主的に選ばれた」という不正確な話

 民主主義を手放しで褒め称える人たちに冷水を浴びせかける反論としてよく使われるのは、「ヒットラーは世界で一番民主的なワイマール憲法のもとで行われた選挙に勝利して首相になった。だから民主主義は独裁を生み出す」という話です。
 ヒットラーを首相にした手段の一つが「選挙」であったという意味では、この話はあながちハズレというわけでもありません。しかし、選挙の後にヒットラーが具体的にどういうやり方で、人々に「もう抵抗しても無駄だ」という気持ちにさせる独裁体制を作ったかは、不思議と言及されませんし、思いの外知られていません。

 1933年1月30日に首相に任命されたヒットラーは、その直後の2月2日に国会を解散してしまいます。続けて27日には、なんと国会議事堂放火事件が起こります。この時、議会が多党状態だったために過半数を持っていなかったヒットラーは、ヒンデンブルグ大統領に「ドイツ民族民衆の保全のための緊急命令」を発令させました。
 これは先進的なワイマール憲法のアキレス腱で、第48条に、公共の安全及び秩序に著しい障害が生じる場合に憲法を停止できるという国家緊急権が明記されていました。
 全権委任法を求めていたヒットラーは、「憲法の枠内の緊急条項」を当初明言していましたが、首相となった途端に「憲法の枠を超えて」、憲法そのものを亡きものとする内容に主張を突然変えました。

 つまりヒットラーは「憲法を停止させること」を明言して、直後の1933年3月に全権委任を訴え選挙を行うのです(ここ、ものすごく大事です)。

 この最後の選挙が行われた時ですら、ナチ党の議席占有率は全647議席のうち288議席しかなかったのです。国家人民党と合わせてようやく過半数をとったにすぎません。改憲には3分の2の数が必要ですから、これならワイマール憲法をいじることはできないはずなのです。しかし、なんとそれができてしまいます。
 それは首相になっただけでなく、内務大臣まで兼務したヒットラーが警察権力を握り、デタラメな捜査を通じて冤罪を作り、国会議事堂放火事件の犯人を共産党員と決めつけ、選挙の結果81議席を得ていた共産党議員、26名の社民党議員、中央党の1名を恫喝し議場から排除してしまったからです。

 その結果、あの悪名高き、あらゆる権限をヒットラー「個人」に与える「授権法」というデモクラシーを瞬殺する法律をわずかな審議で通してしまいました。

 つまり、民主的憲法に従って独裁ができたのではなく、「憲法を停止する」という手続きを悪用して、暴力と脅しを持って「偽りの多数派」を作って独裁権力を掌握したのです。この国家緊急権によって、ナチスに反対する政治家やジャーナリストは3000〜5000人以上が逮捕され、ナチ党員によって諸施設がテロを受け破壊されて、「もう何をしてもダメだ」という抵抗の気力が削がれてしまいました。

 憲法を一時的に停止するような条項は、あまりに危険であるため、日本国憲法にはありません。国家緊急権は、今日諸外国にもありますが、常に「平時」に戻る手続きとともに、これが悪用されないように行政にいくつもの厳しいルールを課しています。このヒットラーのやり口が何を招いたのかを歴史と共に心に刻み付けているからです。

 ヒットラーと民主主義の関係の話をする際には、ここまできちんと押さえておかないと、「民主主義はヒットラーのような熱狂を生み出すのだから、賢明な者たちだけに政治参加を制限して、統治エリートが責任を持つやり方こそ国難を救うのだ」という、よくできた民主主義批判の理屈に道を開くことになります

 新型ウィルスの感染拡大と警戒態勢を利用して、己の無策を隠蔽するように、私的野心としての改憲に前のめりになっている安倍首相の場面、場面の行動と発言に注意を喚起したいと思います。
 野党の審議協力と法律の修正がどれだけ丁寧に過去の歴史を学んでいるかを、我々はきちんと評価しなければなりません。

 最後に、確認のためにもう一度言います。独裁体制ができる前、最後の選挙の結果、ナチ党は40%程度の議席しかなかったのです。憲法をいじることのできる3分の2の多数まで、全く数が足りなかったのです。でも、それから独裁まで、あっという間でした。

 国民の4割にしか支持されていない政党が、最後にデタラメをやりまくって民主政治を破壊したのです。

 どこかの国の話と、そこは似ています。

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※これは4年前に安倍改憲の中でも非常に問題がある「緊急条項」推進の拙速な展開に警鐘を鳴らす意味でFacebookに投稿したものです。当時も500人もの皆さんにシェアしていただいたのですが、時節柄、昨今また昔の投稿をシェアしてくださる方が多く、今日的状況も加味して、加筆修正を加え、また投稿しようと思いました。
 新型コロナ・ウィルスへの対応としてなされる特措法について、それがここに書かれていることと完全パラレルであるなどとは思いません。それでは、理性的な警鐘ではなく落ち着きのないパニック誘導です。
 でも、この論考から受け取ってもらいたいのは、「事態がまずい方向に少しづつ変化する時には、必ず理不尽なことが権力を行使する側からなされていて、それ自体はその時点であまり大きなものに見えないが、それが積み重なった時に手遅れになる」という民主政治の歴史の教訓です。
 「いくらなんでもそれはダメだ」と、ドイツの政治家と国民は「冤罪によって国会議事堂放火の犯人を共産党員と決めつけた」段階で行動するべきでした。しかし、「あんな伍長上がりのできることなどたかが知れている」と、「その場、その場でやらねばならなかったことを」をやらなかったのです。バズーカ一発で独裁など生まれません。日々の「手抜き」の積み重ねこそ、それを生むのです。

 だから、これは民主主義のせいではありません。我々の怠惰のせいです。

 今日の状況を丁寧に考え、悪戯に楽観的になることもなく、過度に悲観的になることもなく、政治家の行動を注意深くチェックするべきだと思います。

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