見出し画像

産前産休日記

キリよく半期末まで働いて、10月1日から産休をもらっている。

9月末まではやりがい持ちつつ、それなりにしゃかりきに働いてた。本業に加えて副業もやってたし、異動人事が出る9月中旬からようやく後任が決まりはじめたので、引き継ぎ期間もわずか。

最終出社日は朝8時半から会社でMTGで、休憩もあまり取れないまま、送別会の開始が夜の8時。その間も腹の子はズンドコドットズンドコドット、ブレワイのモルドラジーク戦かなってくらい元気に暴れまわっている。
さすがに母体にキツ過ぎてその日を生きるのに精一杯で、仕事を離れる感慨とか一切なく終わった。
何なら産休に必要な手続きをよく理解しておらず不備ありまくりで、その日を生きれてなかった。(やり直し)

そしてその日から、ぽーーんと放り出されるように、暇になる。

もともと自然分娩の予定日は11月18日。ホワイトな現職はいろんな休みをくれるのでそれらを全て消化して、産まれる前の最後のモラトリアムを1ヶ月半ゆったり堪能するつもりだった。

が、逆子と前置胎盤(産道に胎盤が被さっている状態)により、帝王切開の方向に。無理すると早産リスクがあるので、日常生活以上の運動や遠出はできない。
それはいいんだけど病院で改めて予定日を聞いたら「10月30日。その1週間前から管理入院してもらう」と言われ、めちゃくちゃ悲しくなる。
こんな直前じゃなくもうちょっと前もって言ってほしかった、楽しみにしていたモラトリアムが一気に約1ヶ月削られる方の身にもなってほしい。
てか私のモラトリアムっていうか、夫の仕事の調整の方が問題である。

そのあと胎盤がちょっと上がってきたのでリスクは低くなり、11月2日が手術予定日になった。ちょっぴり伸びた。

ちょっぴり伸びたけど、休み一気に削られたときのショックで、途中まで書いてた「やりたいことリスト」はどうでもよくなってきてしまった。

今みたらそもそも大したリストでもなかった


もういいや好きに過ごそうと、その日の気分で、その日やりたいことをして日々を過ごす。

ドラクエウォークを立ち上げて、必要なアイテムの方向に向かって歩き、目についたカフェでご飯を食べる。

積読もあるけど、本屋で目についた本を新しく買う。
産前産休前半戦は溜まってた読書欲からずっと本読んでたけど、読みづらい本に当たってからそこで止まってしまい、FF6に置き換わった。

在宅勤務の夫がコンビニで売ってる天一の冷凍ラーメンににんにくをたっぷり乗せて食べてるのをみて、自分も食べたくなって、近所のラーメン屋へ行く。天一のこってりとか豚骨系が食べたいけど家の近くにない。

夜は夫に勧められるがままハリーポッターを観てるけど、もともと人の顔が覚えられなくて洋画が苦手なのと、ホグワーツの陽キャと陰湿さが混ざり合った雰囲気が苦手なのと尺が長いのとで毎回辛い。ずっと「ここまで観たから…」のサンクコストだけで観続けてるし、スネイプ先生だけ推してる。観終わったあとは毎回重い気持ちになるので『パリピ孔明』を1話みて中和。

が、ラストの『ハリーポッターと死の秘宝Part2』、これが本当によかった。この最終回のためにあるような物語じゃん、苦手だったハリーの傲慢さもなるほど敢えてか、人間模様も成長幅もキャラに合わせてリアルだなこれ。
スネイプ先生推しててよかった、もうこの映画『セブルス・スネイプ』でいいよ。

あとは主にTwitter(決してXとは言わない)をやったり、ボードゲームアリーナやったり、とにかくスマホをいじっている。
私の受験時代にもしスマホがあったら、受験に落ちてる自信がある。


こんな感じで、計画性とか何もない。

「やりたいことリスト」がなし崩しに消えていった結果、自分の中で本当にやりたいこととして残ったのはベースに睡眠欲と、少しのエンタメ欲と、あとはほぼ「食欲」。

夜になれば(明日何食べようかな…)と明日のご飯を楽しみに寝るし、朝起きれば(今日何食べようかな…)と今日のご飯を楽しみに起きる。
ほとんど、「何食べたいか」しか考えてない。

恵まれたことに妊娠初期からつわりはかなり軽い体質で(口内炎とか歯茎が腫れるとかマイナートラブルはあったものの、前者は皮膚科・後者は歯科に救われた)
妊婦糖尿病の傾向もなく、病院にも「体重コントロールうまいですね!」と言われたので、野菜とたんぱく質多めは意識すれどその他は好き勝手食べている。

生魚は食中毒の危険性から妊婦は避けた方がいいとは言われるけど、私はお寿司とかバクバク食べてしまってる。
生肉は避けるけどミディアムくらいなら食べてしまう。カフェインも1日コーヒー1杯分くらいまでならOKとみなしてる。酒とタバコはやらない。

全てはリスク(発生確率)<効用(私の幸せ)のバランスにおいて、自己責任の名のもとに、過去最高のエンゲル係数を誇っている。
最初は「子ども産まれたら行きにくいところに行こう」と思ってたけど、だんだんそれも関係なくなってきて、ただ「食べたい」だけになった。

少しは必要な手続きとか出産準備もするけど、毎日が圧倒的に「消費>>>>>生産」。
夫は在宅勤務で働いてるのに、「あとでやろう…」と思っているうちに食器ももう洗ってくれてるし、洗濯機回そうとするともう回してあるし、ちなみにご飯も全て夫が作ってくれている。いいのかこれで??

腹で胎児を育ててるという唯一の未来を免罪符に、計画性も生産性もない。ただ、現在があるだけ。そして、社会が遠い。

キャラメリゼ柿×栗のパフェがうまい(ロイホ)
小田原住んで2年、まだまだ知らない店多くて回るの楽しいし寿司屋おまかせコースのこの燻製海鮮うっまいいいいい(みや澤)
起床時の思いつきで行くエクストリーム朝食(ヒルトン小田原)


思えば大学卒業以来、モラトリアム期間なんて一切なく生きてきた。

若い頃は「ぶっとんでるよね」と言われることが多かったけれど、それは私が忘れ物が多いとか周りが見えないとか脳内が常に連想ゲームしてしまうとか、身体的な理由から来るものが多く、私は私のことを「ぶっとんでる」なんて全く思ったことない。

私の精神は安定を好む。だから学生時代も浪人も留年もしたことないし、1社目は古きよき大企業で5年。2社目はもう少し自由だけどやっぱり大企業で、現在勤続11年。

27歳の転職時は周りの空気を読んで「有休消化したい」なんて言えなかった。というか、そんな発想すらなかった。3月31日まで働いて、翌日には次の会社に入社した。
今だったらあり得ない。どんなに文句言われようと絶対取る。

なので、こんなに投げ出されるように暇になるのが、社会人になってからほとんど初めてなのである。


一番近いのは大学2年の初期の頃だなと、当時を思い返してみる。
大学1年の後期、睡眠時間や遊ぶ時間削りまくって、それまでずーーっと頑張ってた国際開発を学ぶゼミみたいなもののテストの時間を間違えて受けれなくて、先生から「あなたはここで抜けてください」と宣告された。

それまではある意味、何も考えなくてよかった。先生から与えられる厳しい課題をやっていればよかったし、友達は同じ目的を持ったゼミ仲間と一緒に過ごしていればよかった。
それがぽーんと投げ出されてから、私は何をすればいいのか分からなくなった。国際開発が本当にやりたいことだったかも疑わしくなったし(これは学んでる当初から疑わしかったけど見ないフリしてた)、誰と過ごしたらいいかも分からない。

友達もやることもないけど、時間だけはただひたすらあって。
学内のラバーズヒルと呼ばれる丘で1人で本読んだり、誰もこない階段の踊り場でパン食べたり、ドラクエを1からやり直したり、当時は卒業要件だったTOEIC対策したり、ジェラート屋でバイト始めたりしたけど。

あの頃はとにかく辛かった。大学では意識高いことや教訓を書くブログが流行り始めるし、かつての仲間たちは大学のロビーでずっと勉強してる。
ゲームしていても漫画読んでいても、生産性を伴わない「消費」の時間に一定の罪悪感がつきまとった。
「自分はこのまま、社会にとって何の役にも立たず、ホームレスになっていくんじゃないか」、本気で思った。

その気分は、長く続いた。

自分にとっての心の健康のバロメータの1つに「マッサージしてる時間」がある。

大学3年のときにちょっと奮発して友達とマッサージに行ったら、「気持ちいい」よりも、頭の中をいろんな心配ごとが駆け巡り、「私は何してるんだろう」が勝ってしまった。

社会人2〜3年目でも、マッサージ受けながら仕事のことを思い出してしまって、半裸で人に揉みほぐしてもらいながらぽろぽろと涙が出て来てしまった。
目はタオルで隠れてたのでバレなかったけれど、鼻水をずるずるすすっていたので、マッサージ師さんに「風邪ですか?」と心配された。
ちょっと抑うつ状態であったと思う。


文章を書き始めたのも「辛い」がきっかけだった。
この辛さからとにかく逃げたくて、気がつけば書いてた。最初はとにかく自分を救いたかった。
そのうち自分を救うだけじゃダメだと思い出して、自分を救いながら自分とどこか似た誰かを救おうとして文章を書きたくなった。
パリピ孔明でいえば「民草のために」みたいなところだろうか。

怠惰なくせに、生産的でない「消費」の時間が怖かった。よくある「何者かにならないと」という感覚が、常につきまとった。


そして今、39歳にして同じように暇を持て余す産前産休25日目を迎えたけれど、
あの頃と決定的に違うなと思うのは、
命綱のないバンジージャンプのような「この先どうなるんだろう」という不安感、焦りが全くないことだ。

遠出はできないけれど時間はあるし、長く働いていたのでお金もある。
家に家族がいる。
休んでいるけれど、いずれ戻れる職がある。

妊娠がわかった時は、キャリアのことを考えてぶっちゃけショックだった。けどそれも「1年くらいの休みならまあいっか」となったし、せっかくのご縁を楽しもうと思えた。

人を産むこと・育てることに不安はあるけど、無事に産まれたら目標うんぬんより目の前の生命をどう育てるかを考えるだけだと思えば、
ある意味先生から与えられていた課題に死にもの狂いで向き合っていた頃と同じといえば同じだ。

ここまで揃うと、期間限定の「消費」に対する罪悪感が一切ない。

すごく穏やかで、何のストレスも不安もない。仕事も〆切も何も追い込んでこないし、夫は非常に家庭的なタイプで優しく、モラハラ気質も一切ない。
自分はどちらかというと不幸体質だと思っていたけれど、そんなこともなかったんだなと。こんなまんまるい幸せもあるのか。


同時に、妊娠中は「死」に近づいているような妙な感覚もある。

歩くのも遅いしそんなに動けないし、
新たな「生」のために、確実に自分の生命エネルギーは吸い取られてる。
一番の命題はとにかく「次の命を無事に産むこと」であり、この時間に自分の成長なんてない。
今まで私は自分のことだけ考えて生きてきたけれど、これからは、自分よりも優先すべき存在ができる。そういう意味ではやはり1つの節目だ。

基本的にはお産は命がけなので、低い確率ではあるけど私も絶対に大丈夫という保証はない。
そうなっても私は幸せだったと言える、一応書き残しておこう。

私は前置胎盤で、自然分娩だと胎盤流れて大量出血の可能性あるからというので帝王切開になったけど
これ帝王切開や産婦人科なんてない大昔だったら、そのまま死んでたのかな。そう考えると今の時代に生まれてよかった。

個人的には妊娠・出産は、こういうほのぼのとした感じより(いやすとやより)
こういう感じに近い。(ハンターハンターのキメラアント編、女王アリの出産より)
胎動も「ぽこぽこ」っていうより「ドクンドクンっ…」って感じで生々しい


この日記は「最近note書いてないしな」「もう二度とないかもしれない産前産休の心境残しとくか」くらいの感じで書いてる。

今までは「焦燥感」で書いてたし、そこで頑張れてきたところはあった。羽海野チカさんの言葉を借りれば「ネガティブエンジン」である。
それが一切なく満たされている今、以前のようなものすごく書きたい衝動はなくなってしまった。
それが寂しくもあって、特に妊娠してから昔のことが走馬灯のように浮かぶこともあるけど、やっぱり今が幸せでもあり、どちらかを選べといえば間違いなく今を選ぶ。

本棚にあった一条ゆかりの『デザイナー』を読み返す。
(以下ちょっとネタバレ含む)
デザイナーとして一流になりたかった母と、
そのために捨てられて、母への恨みだけで死にもの狂いでデザイナーを目指す娘の戦い。
最後までデザイナーとしての誇りを貫き通す母に対し、
娘は女としての幸せを選んで引退を決意するのに、最終的にその幸せすら砕け散る。
こんな美しい悲劇あるかよ…。この歳になるとより悲しい。


誰かに伝えたいことなんてないし、誰のためでもない。この文章は特に誰の救いにもならないし、構成も一切考えてないし、上手く書こうとも思ってない、生産活動でもなんでもない。

とはいえうっすら自分のためで、私は私の文章やTwitterを読み返すのが好きな気持ち悪い人間なので、これもあとから読めば面白いのかもしれないと思ったのと
文章というナマクラ刀を、いつかのためにほんのちょっと研いでおくか、くらいか。

以前だったらこのくらいの文章量かつ自分の話だったら2時間くらいで書けたけど、こんななんてことのない日記を書くのにアホみたいに時間かかった。やっぱり社会が遠い。
「日記」とか言ってるけど全然進まなくて、2週間くらい前からここ最近のことをだらっだら書いてるから、「記録」の方が正しいかな。


さて、明日は何を食べようか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?