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はじめのいっぽ

これを公開するのに、随分と時間がかかってしまった。
自分の勇気がなかったからだ。
みんなとつくるイベントがしたいと言い続けていたんだけど、それを実行に移すための勇気がなかった。

でも。そこから動かないことはできない。
だから、覚悟を決めて踏み出す。

規模の大きなイベントは大きな企業に任せて、自分は小回りのきくイベントをやりたい。

去年の夏。コロナで世界が混乱し、自分のいたイベント業界も大きな混乱の最中にいた。
たくさんの人を集めることがリスクになり、今まであった「当たり前」が壊れた。

コロナになる少し前から、自分の中にちいさな引っ掛かりがあった。
大規模イベントであることの価値みたいなものが、わからなくなっていたというか。
たくさんの出店があることは「見応えがある」けれど、出会いたいものと出会える機会を減らすことにはならないか?
大規模であることのメリットは、デメリットと表裏一体。

たのしいとか、欲しいとか、そういうのを感じるのも体力次第なところがあるなと思うようになった。
歩くのも困難な通路を、いく筋もいく筋も渡り歩く。会場を見て回るのに、総移動距離はどれくらいになるのだろう?
身体的な疲労は、思考の判断力を低下させていく。
「あとでもう一回、見に戻ろう」が、永遠に果たされなくなていく。
その「あとでもう一回」も、疲れれば疲れるほど脳裏に上がる頻度が下がる。

そして、最終的には欲しいものに反応もできないほど、疲れてしまう。

会場の広さや出店数の多さは、そんなことを引き起こしてはいまいか?

そして、あちこちに建つショッピングモールのように、どこも似たような出店ばかりで、どこのイベントに行っても代わり映えがしない。
イベントの大きい小さいはあまり関係なく、そんな印象を持つようになった。

じゃあ、自分はなにを求めているのか?

それを考えながら、前職を辞めた。
それを考えながら、今いる。
もっと、狭くてもいいんじゃないか。
響くところに思い切り響くような、響かないところにはスンとして響かない。
そんなんでもいいんじゃないか。

たくさん並んだ中から選ぶんじゃなくて、少しの中からでも自分が最高にいいと思えるものに出会えそうな期待が持てるような空気感のあるイベント。

誰にでも好かれるんじゃなくて、嫌われる覚悟が必要で。
なにがいいかわからん、と言われることも厭わないような。
そんなイベントがしたいのです。

本当に、「好き」でつながるような。
好きで話ができるような。

手をつないでいきたい。
そうして、「好き」をつなげていく。
みんなと一緒に、みんなの好きをもっと好きになるために。

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