見出し画像

生きるってなんだろう。

冒頭からすみません。

先程、観てきた映画がとても痛々しくも淡い爽やかな青春映画だったので。

少しだけ映画の説明をさせて下さい。

「はちどり」という映画を観てきました。

画像1

中学生のキム・ウニの目線から見た日常を繊細に描いた作品です。

中学生といえば、最も多感な時期であり、色々なことに敏感に反応して興味を持ってすぐイライラして、勝手に傷ついていた。

そしてそんな自分に興味を持って欲しかった。


みんなそういう時期を超えて大人になっていく。


目に見えるように成長していくのではなく、ほんの少しずつ一歩一歩と階段を登っていく。


鬱屈した日常の中になにか大きなヒントが隠されている訳でもなくて、誰かが立派な格言を言ってくれることもない。


友達と悪いことをしている時、私たちは世界の中心にいるような気になって
その世界には口うるさい大人なんか存在していなくて楽しかった。


一緒に遊んでくれるちょっと年上のお姉さんやお兄さんが居て、憧れたり恋心を持ったりした。


永遠に続けばいいのに、って何度思ったことだろう。


しかし、あの頃の日々はもう戻らない。




***



そんな痛くも愛しい中学生の頃の自分を思い出す、懐かしい作品だった。


この作品の中で私がとても気になったシーンがある。


とにかくご飯を食べるシーンが異様に多いのだ。


家族団欒で食べるシーンも多く、どんな時も家族で食卓を囲んで食事をするというのは自分の記憶の中にあまりない私にとって少しむず痒いような気がした。


でもこの食べるシーンがとても重要で。




ウニは多感期ゆえ、辛い出来事にも直面する。


人は悲しい時、辛い事があった時泣くだろう。


それはそれはたくさん泣くだろう。


私もとりあえず泣く。


じゃあ、ずっと泣いてばかりだろうか。


違う。


人は、どんなに悲しい出来事があっても面白いことがあれは笑うし、嫌なことがあれば怒り狂うだろうし、お腹が空けば食べる。



笑うことや怒ることも生きること同様に価値があり、食べることもまた生きている何よりの証なのであって最大級に価値のあるものだと思っている。




「食べる」を私たちは放棄できない。

辛く悲しいことがあってもどうにか前を向いて生き続けようとするのと一緒で、無意識的に「食べない」ことを自分から切り離すことはできないのだ。



「はちどり」は不安定な心の少女の生き抜いていく様子を
食べるシーンとを密接に描くことで、まざまざと魅せつけてきた。




生きていくことは食べることであって、味わうものだ。
人生の中で最も大事なことかもしれない、と思った。





少しどころじゃなくて全部書いてしまった。

たまにはこんな感じでも良いでしょうか。

映画、やっぱり好きだなぁ。


本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?