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ナイーブを求めて

The night's flower was late when the morning kissed her, she shivered and sighed and dropped to the ground.

Rabindranath Tagore

タゴールの詩は、絵本のように自然を語り、祈るように愛を語る。どれもが情緒的で、少しだけ甘美的。

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言葉をもたない生き物たちが語りかけてくる。太陽や月も語りかけてくる。朝だって語りかけてくる。普遍的な存在がヒトのように振る舞う。だけど、彼ら、彼女らはヒトとは違う。ただ愛を持って漂うだけ。善悪の判断はない。空は晴れるし、雨も降る。花は美しく咲くし、美しく枯れる。朝と夜はそれなりに時間を守る。あるがままに漂うだけ。ナイーブに漂うだけ。

ただ、私は、彼の詩をナイーブに受けとることができない。

どこかで知識がつき、裸の心は打ち消されてしまった。いつの間にか、上から物事を見てしまう。真正面から向き合えない。ヒトはナイーブであり続けることはできない。その気づきは悲しみを生む。変わった形の雲を見つけたとき。海の広大さを知ったとき。星の輝きに魅了されたとき。何も知らなくとも、喜びを感じることができたあのころ。あのナイーブな感覚はどこへ消えてしまったのか。だれに奪われてしまったのか。

取り戻すことのできない感覚。失ったものはあまりにも大きい。けれど、ナイーブな感覚と引き換えに知識は得られた。知識は新しい視点を教えてくれる。知識は新しい発見を教えてくれる。どうしたって取り戻すことのできない感覚を、知識は新たな感覚で教えてくれる。

ナイーブな感覚を失ったいま。新たな感覚で物事を見つめる。それは自然の壮大さだけではなく、恐ろしさも教えてくれる。芸術の美しさだけではなく、儚さも教えてくれる。深い理解が、対象を幾重にも見せてくれる。

理解に近道はない。能動的な知識によって、少しずつ掘り進めていくもの。その蓄積が新たな感覚を持たせてくれるはず。そして、その先にナイーブな感覚が再び生まれてくるのではないか。幼いころの感覚を思い出すように。

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タゴールの詩には、どこか郷愁を覚える。何がそのように思わせるのか。過去の感覚か。それとも、新しい感覚への一歩なのか。どちらかはわからない。けれど、それを感じとるくらいには、感覚が研ぎ澄まされてきた。


2020/09/01


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