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今年もメジロが遊びにきました。
「今年もメジロが遊びにきました」
動画つきで送られてきた母からのメール。庭に生えた小さな木。1本の枝に刺さる半分の蜜柑。少しだけしぼんだそれに、さえずりとともに緑色の小さな鳥がやってくる。1回、2回。蜜柑をつつく。飛び去ったと思えば、また戻ってくる。そして蜜柑をつつく。
メジロなんて、久しく見ていない。実家にいるとき、仏壇に供えていた果物が傷むと、半分に切って木の枝に刺していた。すると、メジロが顔を出す。いまでも実家の庭には季節がおとずれているようだ。
最近、季節を感じていない。時間だってある。近くに川だってある。ちょっと出れば山だって。それなのに、全然気づかない。気づくのは、鼻に入る花粉だけ。まあ、それも季節のおとずれか。
別に気づく必要はない。動物だって、植物だって、ただそこで生きているだけ。だからそれに気づこうが、気づかなかろうが、彼らの知ったことではない。お互い勝手にしましょう。それでいい。それでいいんだ。
にもかかわらず、私は彼らの生きる権利を奪っている。河川や海がどんどん埋め立てられていく。新しい建物がどんどん建てられていく。道を歩いて目につくのは、そんな光景ばかり。暮らしの豊かさは何なのか。少なからず、人間の勝手で彼らの土地を奪うことではない。
そうはいっても開発は進む。そのうち、空も埋め立てられる。「100年前は空が見えたんだってさ」「それ本当?」。そんな会話が聞こえる。まさしくSFの世界。そうならないために何をする。たぶん大したことはできない。
少しずつ。少しずつ。自分にできることは何か。考えることができる。動くことができる。やっぱり、私は季節を身近に感じていたい。そこにいる彼らをじっと眺めていたい。彼らのさえずりに耳をすませていたい。彼らの香りをかいでいたい。季節とともに生きていたい。
***
メジロの次はスノーボールの写真が送られてきた。最近は雨が多い。次は紫陽花かな。そういえば、道端に青紫色の紫陽花が咲いていたような。きょうの帰りにでも見てみよう。ついでに河川沿いを通って帰ろう。蚊に刺されるかな。それもいいか。
2020/06/09
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