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彼女の半径1メートルで起きていること/大小島真木、「鯨の目」のはじまり

2017年に太田市美術館・図書館で開催された本と美術の展覧会vol.1「絵と言葉のまじわりが物語のはじまり~絵本原画からそうぞうの森へ~」において並々ならぬ存在感を放っていた大小島真木さんによる作品《46億年の記憶》を、太田市内の山恵鉄工株式会社代表取締役・村木幹人氏が購入、社内の新事務所において常設展示がされる運びとなった。

僕は、その仲介人となった小金沢智さん(東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師/旧太田市美術館・図書館学芸員)からの依頼でその様子を撮影することとなった。小金沢さんとは、2013年の中之条ビエンナーレでの出会いをきっかけに、彼が在任中の太田市美術館・図書館にて展覧会記録等の撮影を担当し、他、そこから縁が繋がった谷保玲奈さんの映像記録や、後述する山本直彰さんの記録など、幾つもの映像を共に作ってきた。各地での撮影の度に寝食も共にし、依頼する側・される側という関係ではあるが、彼とは<美術に関しての記録を続けていく同志>という感覚がある。

大小島真木、「鯨の目」のはじまり

大小島さんの今回の一連について、何より上記リンクから飛べる映像を見ていただくのが一番良いと思うが、それは「1アーティストの作品が企業に買われ展示された」という言葉でまとめてしまうには余りに多くのものがこぼれ落ちる、濃密で、豊かな時間だった。僕は「絵と言葉のまじわりが物語のはじまり」展ではじめて大小島さんの作品を見て、山恵鉄工株式会社の村木さん同様に「鯨の作品そのものが生きているような」強い魅力を感じたのだが、大小島さん本人に対しては勝手なイメージとして、シンガーの青葉市子さんのように“自然と関わりながら表現するものが降りてくるような巫女的な方”なんじゃないかと思っていた(青葉さんがそんな感じであるというのも僕の勝手なイメージなのだが)。が、今回美術館で会って最初のインタビューを撮っている際にそのイメージは違うのだと、更新を余儀なくされた。

大小島さんは科学的に、学術的にも自然や生き物の実際を理解する事につとめ、それら知識と自分が実際みたことを総動員して、そこから先の作品を、世界を構築していた。感覚的よりはむしろ理知的な方なのかもしれない。だからこそ、理論立って話される言葉が大事であり、けれど言葉だけで映像を埋めてはダメだと思った。だから、結果としてほんの些細な映像フックではあるが、最初のインタビュー直後、美術館から館外に出て行く彼女を、背後からスローで撮影した。その意図は、「言葉では説明しきれない部分で、彼女の半径1メートルには何か重要なことが起きているのではないか?」という僕の直感であった。

大小島さんの作品について、映像内で話される、村木さんが語る「大小島作品はわかりやすい」的な言葉と、小金沢さんが語る「大小島作品の全てを理解できているとは全く思わない」という言葉の対比が面白い。実は、それは同じことを言っているのではないかとも思ったりもする。僕の解釈としては、大小島さんが作っているものは“生き物”なのではないかということ。それは具体的に動物を描いている、という事だけではなく、生き物の成り立ちそのものを突き詰めて作り上げることにより、作品に生命力が宿っているということだ。生き物とは、自分もそうであるし身近にあるものなので、わかりやすい。その一方で、僕らはなぜ心臓がきちんと動いて生きていられるかということについて全てを知っているわけではないし、学者とてその全てを解明できているわけではない。そんな“生き物”のような身近さと深遠さが感じられる事が、大小島作品の魅力なのではないか。

彼女の半径1メートルで起きていること。小さな体で、時に椅子を踏み台にして、絵筆を伸ばし、時にはスプレーでのグラデーションもつける。そういった目に見える創作活動の裏側では、実は超新星(動画内で彼女から語られる、宇宙において起きた大規模爆発によって輝く天体のこと)のごとくの爆発と輝きが起きているのではないかと仮定してみる。それはとめどなく繰り返し、言葉や知識を越えてこれからも、まだ見ぬなにかを形創ってゆく。

この大小島さんの動画は、同youtubeチャンネルにある「山本直彰、自画像を語る」らと共に、小金沢さん個人の出資・発案によって制作されている。そうまでして残したいという意思が、彼はある。それは個人の活動という枠を大きく越えて、とても貴重な活動だと思っている。よって、チャンネル登録もお願いしまーす!(と、宣伝で終わる)

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