「民主主義陣営」vs「中国」ーコロナについて
日本で中国のコロナ対策に関する報道をみると、まるで規則でもあるかのように「強権的な措置により」といった文言が最初に付きます。確かに、実際にそういった側面は強いものの、実際に中外から見ていると、圧倒的な決断する力とその速さ、見通す能力、行政能力や柔軟性がコロナ制圧に強く寄与しているのは間違いないと感じます。にも関わらずしばしば否定的な文脈でしか語られないのは、イデオロギー的に態度を硬直させているからではないでしょうか。しかし残念ながら、頑固に態度を硬化させて人から学ばない人は、一生成長しません。
そもそも私達は本当に人権を重んじているか?
中国に関する報道を見ると、今回のコロナしかり、あらゆる現象に関して人権に結びつけて否定的に報道されることがセオリーとなっています。確かにイデオロギーと「人権」は相互に強く依存するものだと思います。しかしそれは、通り一遍等にどちらかが「人権」において優れている、ということを示すものではないと思います。しばしば「人権」をもってして、専制主義の中国よりも自分たちはだいぶマシだよね、という文脈に落とし込められますが、そもそも「人権」は結局は人間が作り出すものであり、どれが正しいなんてものはその時代や国の事情、豊かさによって変わって然るべきものだと思います(注1)。
例えばコロナが流行するなかアメリカにおいて、「人権」は守られたでしょうか(注2)?アメリカでは2022年1月23日時点で80万人以上の方がコロナでなくなっています。そのうちの多くが65歳以上の高齢者です。要するに現代版の姥捨て山です。一部のマイノリティー弱者にツケが回っているのです。さらには死亡率の人種間格差(注3)も指摘されています。アメリカのシステムにおいて、一部の富豪は個人で10兆円規模で資産を増やし、一方で一般市民はインフレに苦しんでいます。GDPが長期トレンドから外れて落ちたというのは、それだけ経済活動が落ちた、すなわち(経済)活動が制限されたとも言えるでしょう。
一方で中国ではどうでしょうか?実は最初の数ヶ月以外、殆どの期間においてコロナはほとんど発生していません。約13億の人口に対して感染者数が100人も超えれば流行、といった感覚でしょうか。一部の高齢者だけに死んでもらう必要はありません。全体で見れば(経済)活動の制限も(我々に比べ)ほとんど受けていません。コロナが発生した地域の人には大きな制限や不便、あるいは不適切な扱いによる死産という痛ましい事件はありましたが、マクロに見れば、日本やアメリカで生じている不便や死者、後遺症、経済的な困窮、それによる死者、選択の余地がないことによって尊厳を犠牲にして風俗で働き出す女性などは(推測も含みますが)おそらく少ないのではないでしょうか(注4)?
学ぶことこそが我々のメンタリティー
ここではいつもスケープゴートとして叩かれる役の中国を擁護するように書きましたが、これはポジショントークに過ぎません。
そもそもどちらがいいかというのは、それぞれの政治体制を前提とした時点で比べることはかなり難しいです。しかしその中でもいったい中国の対応のなにが良かったのか/悪かったのか、いったいなぜ早く決断できたのか、どう意思決定したのか、それを実際にどのように反映させ、社会実装したのか、コロナワクチンに対して政府がどの時点でどのような戦略をとったのか、取らなかったのか、そういったことを学ぶべきではないでしょうか。
これは個人でもそうだし、たとえば製品を売る会社も同じです。それぞれの企業が全く違うコンセプトや思想でものを作ります。そしてそれぞれが違う強みや弱みを持ちます。一部、ダークサイドに落ちて足の引っ張り合いをするような営業マンもいるかも知れませんが、企業が取るべき立場は攻撃ではなく学ぶこと、差別化すること、そして相手より良い製品を生み出すことです。そして優れたものを生み出し、適切に営業等をすればものが売れます。競合他社がいかに劣っているかを見つけ出して自分を慰めても、ものが売れることはありません。
日本は大昔からずっと、中国から文化や政治システム、そもそも全ての基盤となる言語すらを輸入して、うまく融合させてきた歴史があるはずです。気づきにくいかもしれませんが、欧米諸国の一般人から見たら、おそらく日本は中華圏といっても過言ではないと思います。それくらいに私達は中国の文化にどっぷりと浸かり、そのなかで自分たちに合うものを上手に吸収してきた歴史があり、ルーツがあります。
文明開化以降の百数十年、すっかり欧米の虜になってきましたが、そろそろ熱を冷ましてもいいのではないでしょうか。イデオロギーの壁を超えて中国から学ぶことはまだまだたくさんあるはずです。
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