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父親スイッチが入った話

 私には3歳になる息子がいます。中国で妻と子供、義父母家族と暮らしています。3歳時といえば反抗期真っ盛り、甘えたい真っ盛りで、ワガママばかり言います。延々と機嫌を損ねてバカでかい太い声でずっと泣かれると、流石にイラッ!とするときもあります。

 しかし最近、ある”事件”がきっかけで、息子に対する態度がだいぶ変わりました。恥ずかしい話なのですが、3歳時のあまりの聞き分けのなさとその泣きっぷりに、義父が時々、癇癪を起こしてしまうのです(正直、3歳時に対して本気で感情的に怒るとは何事なんだ、と思うのですが、、)。そして何度目かの癇癪を起こした時。あまりに恐ろしい形相で息子に向かって怒鳴りながらズカズカと歩み寄って来たので、流石に間に入って義父を止め、息子を他の部屋に移しました。

 それ以降、父親として息子を守らなければならないという立場が鮮明になり、自分の息子に対する接し方が変わりました。甘やかしすぎるのも問題ですが、今まで以上に親として息子にコミットする意識が芽生え、より自分ごととして捉えるようになりました。そして以前よりも、相手が3歳時として何が必要なのか、どうして聞き分けられないのかを考えたり、大人の尺度や事情を無理に子供に押し付けないようになりました。

 もちろんこれまでの約30年間の人生で様々な変化がありましたが、これほど短期間に、明確に自分の中で変化が起きるのは珍しい気がします。そこまで大きな大事件とまでは言えませんが、なにか強い動機が外から与えられた時、人の性格や生き方、態度などが急に変わることもあるのだなと、なんだか少し不思議な体験でした。

 幸い義父も何かを感じたのか、それ以降は癇癪を起こさず、息子に対する接し方も少し変わった気がします。また、心のなかではなにかしこりがあるかもしれませんが、今のところは特に問題なく一緒に暮らしています。以上が、少し恥ずかしい話ですが、事の顛末です。なんとも人と関わりながら生きるというのは大変なものです。。

 やや話がそれますが、私の人生はできるだけ安全かつ面白そうな道を進むという、なんとも凡人らしく覚悟の足りない、特に張り合いのあるものではないかもしれません。無難かつ長期的に生きれる道があるのであれば、そのような道を選ぶ可能性が高いかもしれません。しかしもしかしたら何かのきっかけで、もっと自分の頭で必死で考え、自分の道を自分の足で歩めるようになるのかもしれない、そんな予感をほんの少しだけ感じました。


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