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『不適切にもほどがない!』

宮藤官九郎さん脚本のTBSドラマ『不適切にもほどがある!』

昭和生まれにとって心にグサグサ刺さる内容ですね。
いい意味でも悪い意味でも
令和の教育を見ると
「先生」と呼ばれる人たちの大変さを感じます。
先生だけでなく、会社も。
いえ、社会全体です。

いいんです、それでもいいんです。
でも、軟弱な人間しか育ちませんよって
言いたいです。

そう言うと、批判されます。
これが「現代」です。

時代の変遷で
常に進化(アップデート)しなければならない部分があります。
しかし、常にアップデートを強いられている側の苦労や気遣いは
理解されようとしているのでしょうか。

若い世代に寄り添おうとしすぎて
今までを支えてきた世代を無視した動きに
なっている部分もあると考えます。

Xであったりインスタであったり
以前より格段に
「秘めた才能」を見付けやすくなりました。

それは非常に喜ばしいことで
こんなに面白い発想をする人が沢山いるんだ!
とワクワクします。

『ウモレビト』が世に出やすい時代です。
今も昔も才能があるにも関わらず活かし方の分からない人がいます。
そこを拾えるのが今です。
拾われる人も、
ただ発信している人も、
とても恵まれています。


しかし、
どれだけ自由な発信を求めるのでしょう。

SNSの発達により、
何かあればすぐ匿名で
「それは不適切だ!」
「パワハラだ!」
「モラハラだ!」
と声をあげます。
やれ教育委員会だ、やれ労基だ、やれBPOだ、と。

ひとり騒ぎ始めると
ネット警察がわんさか湧いてきます。

タレントであれば過去を部分的に切り取られ、
さも「元々こういう人間だった」と、

一般人であれば
すぐに職場、顔、名前、家族が
素人に調べ上げられ
公開処刑されるでしょう。
※この場合の「素人」は
「偏った意見のまま悪意を持って調べる人」のことです


発言の自由で傷付く存在もいます。
傷付くだけでなく社会的な立場を失う人もいます。

その人たちは、人間ですか?
それとも人形ですか?AIですか?
よく考えてみてください。

発言だけでなくモラルも自由化していませんか?
このような状態の方が
よほど「不適切にもほどがある!」
と思いませんか。

「セクハラ」「モラハラ」「マルハラ」
「ハラ」をつければいいわけじゃない。

全てにおいて基準が曖昧です。
「ハラスメントと感じる人がいればハラスメント」
そんなことありません。

そういう発言をする人こそ
「自分がハラスメントをしているかもしれない」
と考えてみてください。


我慢ができないなら
全て自己責任にすべきです。

すごく我慢しろとは言ってない。
自分だけ我慢していると思うな。

もちろんがっつりハラスメントしてくるところも
あるかと思います。

その場合は問題です。我慢しなくていいです。
しっかり「法」に守ってもらいましょう。

ここで言いたいのは、
何でもかんでも「ハラスメント」
で片付けようとしないで欲しいということです。

なにより自分が弱くなります。

嫌なこと、腹の立つことがあっても
語彙は「ハラスメント」だけではありませんよね。

発言の自由が与えられている今こそ
「ハラスメント」以外の語彙を身に付けて
想いを伝える必要性を感じています。




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