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振り絞るほどの勇気は持っていないけど

未知へ向けて扉を開け放つこと。暗闇への扉。一番大切なものはそこからやってくる。わたしたち自身もまたそこから来て、いつか出てゆく。

-レベッカ・ソルニット


2022年7月10日。僕は3年11ヶ月働いた会社を退職した。今日から独立して自分の仕事をして生きていくのだ。

正直、自分にこんな選択ができるとはおもっていなかった。振り返ると、独立を決めるまでのこの数ヶ月の道のりを、僕はとても意味のあるものとして覚えている。
一人では歩けない暗い道も歩いたし、自分の中にしかない答えを、外に求めたりした。

このnoteでは、今日に至るまで僕の歩いてきた景色を、振り返ってみたいと思う。

振り返るための補助線は2つあって、ひとつはインテグレーションジャーニー。僕が通っているコーチングスクールのTHE COACHで使われている、人生の現在地を理解するための考え方だ。人間はどんなときも、この7つのステップを含む旅路の中にいて、変化を目前にして胸を高ならせたり、辛いことを乗り越えて成長したりしている。

インテグレーションジャーニー

もうひとつの補助線は、THE COACHのりみさんまーさんが企画してくれたアドベントカレンダー。同じようにコーチングを学び、実践しているコーチたちが集まり、インテグレーションジャーニーをそれぞれ振り返るという趣旨のマガジンだ。自らの人生に真剣に向き合っているコーチたちと一緒に自分の旅路を振り返ることで、より鮮明にお伝えできるんじゃないだろうか。

というわけで、早速筆を進めてみようと思う。僕の一世一代の意思決定の物語だ。

コーヒーでも淹れて、読んでいただければと思います。

旅の始まり

2022年2月。僕はスマートフォンで、着信したばかりのメールを読んでいた。

「面接の結果、不採用とさせていただきます」

送り主は、転職するなら最高の選択肢だと思い以前から憧れていたA社だった。SNSでつながっていたA社の社員の方から直接面接へのご招待をいただき、天にも昇る心地で正社員のポジションの面接を受けた次の日のことだった。

転職への思いは現職に入社した2018年当初から持っていたと思う。当時、僕はキャリアの狭間で、アルバム発売を控えたバンドのレコーディングに明け暮れていた。レコーディングも続けられるように残業が少ない会社、と深く考えずに入社した会社だった。それもあって、入社後は約半年ごとに転職や独立を思い立っては中途半端に行動し、数週間で頓挫して現状維持を選ぶというサイクルを繰り返していた。A社との面接の機会をいただいたときは、ついにこの不毛なループを抜けて、転職が実現すると心踊る気持ちだった。

それだけに、A社からの不採用通知は、非常にショックな出来事だった。

憧れの企業との面接で拒否され、会社やめたいループからは抜け出せず、かといって、現状維持はもううんざりだった。

僕は身動きが取れなくなってしまった。まさに、不本意な現実に直面し、僕は日常を追い出されたのだった。


覚悟はどこにあるのか

日常を追い出され、旅立ちのフェーズに入った僕は、深い葛藤に潜っていくことになった。

まず気づいたのは、覚悟が足りなかったということだった。

これまでも、個人でお客さんをとったり、企業のカジュアル面談を受けたりして、「うまく行ったら会社をやめよう」と思っていた。言い換えればこれは、ダメだったら現職に留まることを前提とした行動だった。今回のA社との面接も、「A社に受かれば、状況を変えられる」と思っていた。だめだったら現職を続ける前提で、安住の地の内側から、外側に憧れていただけだったように思う。

しかし、A社からの不採用通知は、これまでの僕の生き方が、自分の人生を他人に決めてもらうのを待っている受け身の姿勢であったことに気づかせてくれた。

人生における変化とは、周りの環境をきっかけにして、自分が順応していくものだと思っていた。これまでの人生もそんな風に流されて変化してきたということに気づいた。
教授が勧めてくれたから海外へ行く、レーベルがオファーしてくれたからアルバムを出す、みたいな感じで。

A社との面接も、「あなたがきっかけをくれるなら、入社します」というスタンスが言外に伝わってしまったのではないか。

僕に足りなかったのは、能力や経歴ではなく、自分の人生を自分で変えたいという覚悟だったのではないか。

覚悟はどこにあるのだろう?

覚悟は自分の中にしかないのではないだろうか。自分が変化をどう捉えるかという問題なのではないか。

変わりたいという願いが僕の中にある。しかし、自分の変化への欲求を、いつか叶うものだと思って環境に預けているのではないか。

つまり、僕はこれまで、「変えて欲しい」と思っていたに過ぎず、「変えたい」とは思っていなかったのだ。

「変えたい」と思って自分で起こす変化。それが、僕に必要な変化だった。

変わることは、僕にしかできないことだ。
望む変化を自分の人生に起こせるのは、自分以外にはいないのだ。
そんなことに気づいたとき、覚悟は自然と生まれたように思う。

葛藤、それは苦しい

しかし、これまで外に求めていたものを自分の中から生み出すことは、簡単ではなかった。

勇気も計画もないままだったが、僕には2つの選択肢があった。

転職か、独立か。

変化を自分で起こす覚悟は持てた。しかし、僕の中には自由を求め独立に突き進みたい気持ちと、リスクを取らずに転職を望む気持ちが混在し、まだ身動きが取れずにいた。

ここで、コーチングで用いられる「サブパーソナリティ」という考え方についてお話ししておこう。サブパーソナリティとは、個人を一つの人格ではなく、複数の人格でなっている集合体と捉えたときの、個人の中に存在する副人格のことを指す。
たとえば、好きな人に告白しようとするとき、思いを伝えたい気持ちと勇気が出ない気持ちがぶつかってしまうことがある。これは、想いを伝えて関係を発展させたい副人格と、関係を壊してしまうのを恐れている副人格が自分の中で拮抗していると考えることができる。ともすればどちらかを「本当の自分」の気持ちだとして、片方を無視してしまうところだが、どちらの気持ちを持つことも自然なことだし、両方とも自分の中にある大切な願いである。サブパーソナリティの考え方からすれば、どちらも本当の自分だ。

ここから先はサブパーソナリティを前提として、僕と、自由を求め独立を望む「夢追いくん」と、リスクを怖れ安定を求める「慎重くん」の三人を登場人物として、読み進めていただければと思う。

僕の中では夢追いくんと慎重くんが話し合いを続けていた。

「経験もあるし、常に自由を望んできたじゃないか。今こそ、リスクを恐れず冒険しようじゃないか」
「そうは言っても、食べていかれないのは困る。まずは副業OKの職場に転職して、準備をした方がいいのでは?」
「いつまで準備をするの?今までだって、準備の時間はあったはずじゃないか。行動するなら今だよ!」

あちらを立てればこちらが立たずで、埒が明かない。
僕自身は「独立したい気がするけどリスクは手に負えない」という思いに身がちぎれそうな葛藤を経験していた。

葛藤は苦しい。

毎日心の形が変わって、本当の自分の声がわからなくなる。どんなに考えて出した結論もどこか自分のものではない感触があるし、自分が信じられなくて、そもそも決断する能力がないのではないかと疑いたくなる。こんな優柔不断な人間が独立しても、うまく行くはずがないとも思った。文字通りのたうち回っていたと思う。

その頃の僕は、毎日「やっぱり転職する!」と「やっぱり独立する!」というふたつの宣言を日替わりでパートナーに伝えていた。よく呆れないで聞いてくれていたものだと思う。

しばらくして、ひとつの結論に達した。

夢追いくんの願いこそ、自分の本当の願いだ。独立こそ、僕のしたいことだ。
でも、慎重くんのせいでリスクが怖い。臆病な慎重くんを説得する必要がある。

僕に必要なものは勇気だ。勇気を持って、リスクを打破することができれば、慎重くんも納得してくれるだろう。そうすれば、僕は葛藤を抜け出せる!

そのときの僕はそう結論づけた。

勇気を探そう。勇気ってどこにあるのだろうか?

勇気はどこにあるのか

僕は勇気を探し始めた。

まずは、脳科学の本を読んでみた。
どうやら未知の経験については、脳内にリファレンスできる記憶のストックがないので、扁桃体にコルチゾールが溜まり、前頭葉の働きが下がる。その結果意識的判断ができなくなり、望むように行動できなくなるらしい。しかし、脳の仕組みの理解は、勇気にはならなかった。

いや、そうじゃない、人間には心というものが備わっているじゃないか。脳と心は別物だから、人間は最後の決断にあたっては、情報ではなく物語を必要とすると聞いたことがある。書物の中に勇気が転がっているのではないか。そう考えて読んだ若松英輔の「悲しみの秘義」という本に、勇気についての章があった。

「勇気を出す、振り絞るという。こうした表現は、勇気とは誰かに与えられるものではなく、すでに万人の心中に宿っている事実を暗示している」

そうか。勇気は身につけるものではなく、自分の中から振り絞るものなのか。だけど、僕の中には慎重くんがいて、リスクをできるだけ避けて生きてきた。立ちはだかる困難に果敢に立ち向かって状況を打破していくような勇気は、そもそも備わっていない。筋トレとかもしてないし、僕には無理だ。勇気なんて絞っても一滴も出てこないだろう。

では、コーチングで勇気を与えてもらえるだろうか?
いや、コーチングの役割は、クライアントの中にある答えを見つけるサポートだ。コーチにいくらお願いしても勇気を与えてくれるわけではない。コーチはクライアントの可能性を信じて、ただ話を聞いてくれる存在だ。コーチに勇気を与えてもらうことはできない。

だが、コーチングは、人生の変容を促す場だ。何かが起きる場所だ。

ある日、マイコーチとのセッションの中で、こんな話をした。

「夢を追いかけて独立すれば、明るい未来が待っているはずなのに、リスクが怖いんです」
「でも、拓さんは、夢を追いかけて海外で働いていたときも、お金とか心配してましたよね。夢を追いかけるだけで明るい未来になるのですか?」

何気ないコーチからの一言。この一言で、僕はあることに気づいた。それは勇気ではなかったが、とても大事なことだった。

僕は、これまでも何度も、夢追いくんと慎重くんの葛藤を経験してきた。そしていつも、夢追いくんの意見を優先して生きてきたのだ。

それはいつも同じ結末につながる、繰り返される物語だった。

僕は、葛藤は「断ち切らねばならないもの」と思っていた。怖れを断ち切って、行動すること。これこそが、決断だと思っていた。「迷ったら前に進め」が僕のモットーだった。

でも、そうやって夢追いくんの願いを優先した結果、その先で手放しで幸せとは呼べない現実に直面していた。

日本語教師として世界で活躍するという夢を持って、就職ではなくオーストラリアで日本語の先生になる選択をしたとき。赴任した先で上司と反りが合わず鬱になりかけた。
大学院に進学したとき。金銭的余裕がなく、祈るような気持ちでATMの残高を眺めていた。
人生で一番充実していたデンマークでの生活も、ふとしたときに将来の不安に押しつぶされそうになっていた。

夢追いくんの意見を優先し、慎重くんを無視した行動の先には、いつも望ましくない現実が待っていたのだった。

勇気は見つからないままだが、自分の人生に繰り返されてきた物語に気がついた。

この葛藤は、ここで断ち切るわけにはいかなかった。

僕の物語の鍵を握るのは、慎重くんだ。

慎重くんと夢追いくん

サブパーソナリティは、自分の中の多様性である。それぞれが独立した人格として価値観を持ち、それぞれにいい面も悪い面もある。そして、それぞれがリソースとして力を貸してくれるときもあれば、内なる妨害者として邪魔者になったりする。

僕はこれまで、夢追いくんこそが本当の自分であり、慎重くんは、足を引っ張るだけの存在だと思って生きてきた。
夢追いくんは、夢を追いかける推進力だ。自分を信じる力があって、現実的な心配よりも、未来志向で前進できる力だ。
そして、慎重くんは、この行動を抑制する。リスクを感知し、「やめておけ!」と警告する臆病者だ。

でも、人生に何度も繰り返される望まない物語に気づいた時、僕の中で、この二人の存在感が大きく変わった。
僕は夢追いくんに肩入れしすぎていた。その結果、夢追いくんの悪い面と、慎重くんのいい面に気づくことができずにいた。

望まない物語を無意識に繰り返してきたことを自覚できたとき、夢追いくんが、未来志向で前進する推進力の裏に、リスクを計算しない無鉄砲な面を抱えていることに僕は気がついた。

夢追いくんの無謀な一面に気づけなかった僕にとって、リスクは避けられないものであり、正面からぶつかっていくものだった。これを乗り越えるには、リスクに正面から果敢に立ち向かって打破していく勇気が必要だった。

しかし、同時に気づいたことがある。
勇気は、どこにも見つからないどころか、僕には、必要ない。

なぜなら、僕には慎重くんがいるから。

慎重くんは、リスクを察知して警告する力を持っている。慎重くんはただの臆病者ではなく、リスクを避ける先見の明と頭の回転を持っている。

繰り返される望まない物語を断ち切るのに必要だったのは、これまで気づいていなかった慎重くんの力だった。

今や、慎重くんがとても頼もしく感じられた。
リスクは対応できなければ、回避するものであり、対応できないのに立ち向かうものではなくなった。

いままでは、山に登ると決めたら、ひたすらまっすぐ頂上を目指して進まなければならないと思っていた。そこに通れない道があっても、装備が足りなくても、怪我をしてもいいからまっすく頂上を目指すものだと思っていた。

でも、そうではなかった。通れないところは通らない。装備を整える時間をかける。コースを選んで進む。山には登り方があり、自分のペースがあることを知った。

僕には、リスクを打破していく勇気はない。でも、リスクを避けて進む力があった。

仕事を辞めるという意思決定は、怖れを伴うものではなくなった。

帰還

夢追いくんの望む未来を、慎重くんの力を借りて進む。こんなに自分らしい進み方があったことに驚いた。

僕は僕のままで、前に進むことができた。何も諦める必要はなかったし、外の世界から与えてもらう必要はなかった。

簡潔にまとめてしまうと「答えは自分の中にある」ということなのだろう。でも、自分の中にあるのは、答えだけじゃない。苦しみも、後ろに引っ張る声も、叶わない願いも、愚かさも、全部自分の中にある。だから当然、葛藤する。

葛藤は、生きれる人生がひとつしかないのに、いろんな声が手放せなくて、心が破裂してしまうような苦しい経験だ。とても苦しい出来事なので、途中で「えい!」と決めてしまいたくなる。でも、葛藤に必要なのは、断ち切ることではない。

葛藤に必要なのは、とことん味わうこと。時間をかけて、たっぷり苦しみ切って、自分のどん底まで見つめることだ。どんなに苦しんでも、苦しみ切った先にあるのは、絶対に間違いなく、希望だ。
希望が見えないなら、それはまだどん底ではないというだけだ。もっともっと深くもぐってみよう。いのちの一番深いところには希望があるのだから。

もし一人では心細いなら、コーチングを受けてみるのも悪くないと思う。一瞬もあなたを疑わず、とことん伴走するのがコーチの仕事だ。

おわりに

というわけで、とても長くなってしまったけど、なんとか文字にできました。ずっと振り返りたいと思っていた内容だったので、機会をいただけて嬉しかったです。まーさん、りみさん、ありがとうございます。

こういうのって、一人では本当に難しい!本当に悩ましいしぐるぐると思考が巡ってしまう。人間って本当に一人では生きていけない生き物なんだなあと思います。

僕の旅路を伴走してくれたあらやんさんすぐさんかなおさん、プロ7期のみんな、コースリードのもっちゃん、たにさん。そして、パートナーのえりさん、本当にありがとう。ありがとう。

またお会いしましょう!


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