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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』について

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年11月17日公開)から8年以上の沈黙を破り、2021年3月8日に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』がついに公開された。約8年ぶりのシリーズ新作にして完結編。公開初日は平日の月曜日にもかかわらず、長らく待ち望まれていた映画を渇望する多くの人達でにぎわっていた。自分もそのうちの一人だった。


【※以下、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の内容について言及しています】


 前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』でカヲルを目の前で失ったショックにより、ジンジは失語症となり、あらゆる意欲を失ってしまう。シンジはアスカとアヤナミレイとの放浪の末に、第三村にたどり着く。村には、シンジのかつての友人であるトウジ・ヒカリ夫妻、ケンスケ達が暮らしており、シンジを温かく迎え入れる。シンジの友人達が生存していて、しっかりとした大人に成長していたことにまず驚かされることとなった。

 自分は2012年に『Q』を鑑賞した際に、「この世界でヴィレとネルフ以外の人間は存在してないの…?」「この世界で、どうやって食料や物資を調達してんの…?」といった疑問を抱いた(その他にも、数多くの疑問はあるのだが…)。自分が抱いたいくつかの「?」に対して、本作の序盤から回答が用意されていた。
 ニアサードインパクトによって、何もかもが滅茶苦茶になってしまった世界。それでも生き残った人々は、農作物を育て、働き、学び、生きている。食べなければ生きていけない。日々の暮らしや、「生きていくこと」がどういうことなのか、時間をかけて描かれる。トウジ宅での献立、カロリーメイトのような配給食、魚釣りなど、この世界における食事情がなかなか厳しいことがわかる。

 一方、アヤナミレイは村で汗水垂らして農作業に取り組む。仕事を終えると、湯船に浸かって疲れた身体を癒す。まさに「命の洗濯」だ。レイは第三東京村での生活を通して、ネルフの命令に従って動くエヴァパイロットではなく、いち個人としての生活を肌で知ることとなる。レイが田植えをしている姿はとてもシュールだが、これまでのエヴァには、まずあり得なかった光景である。この村のパートで、ストレートに「生命の肯定」を表現していることに落涙した。
 レイは村での生活を経て、生きる喜びを知り、自身のアイデンティティを確立していく。そんなレイが、凹んで心を閉ざすシンジとコミュニケーションを重ね、シンジは立ち直っていく。レイはS-DATだけでなく、好意をシンジに「渡す」のである。人から人へ希望にも似た何かが伝播していく。

 立ち直ったシンジは落ち着いており、その目には怯えや迷いはもうない。シンジは人類補完計画を完遂させようとしている父・ゲンドウとやがて対峙することになる。
 暴力を伴う戦いでは父との決着はつかないことを悟ったシンジは、ゲンドウとの対話を望む。ゲンドウが一体どういう人間なのか、どういう思いを抱えているのか、ゲンドウの独白を通して、観客である我々も彼の思考や過去を知ることとなる。息子に対して高圧的な態度をとってきたゲンドウが、今やシンジに冷静に諭されている。碇親子の歪なパワーバランスが崩れる。これも従来のエヴァではありえなかった展開だ。
 シンジはゲンドウに続けて、エヴァパイロットであるアスカ、カヲル、レイらとも対話する。彼女らの葛藤や思いに寄り添い、エヴァの呪縛から解放する。一人、また一人とシンジはどこかへ送り出す。TVシリーズから新劇場版に至るまでのタイトルバックがババババと高速で投影されると、エヴァの物語の終着点がすぐそこまで近づいていることを実感した。

 ラストシーンで駅のホームに座るシンジの声は、緒方恵美ではなく、神木隆之介が演じている。この演出には、エヴァのいなくなった世界でシンジが大人として成長したこと、もう以前とは違う自分になっていること、そして繰り返しの物語が閉じたことを示す意図を感じた。
 エヴァではTVシリーズの頃から、哀愁や虚無感の象徴として「電車」がたびたび登場してきた。マリと合流したシンジはそんな「電車」が行き交う駅から飛び出していく。このラストシーンでは、空撮で撮られた山口県宇部新川の街並みの中で、アニメーションで描かれたシンジとマリが駅前のロータリーへと駆け出しており、このうえない解放感に溢れている。シンジと接点の薄いマリがシンジと共に手を取り合う結末はやや唐突に思えるが、今までのエヴァのラストのどれにも似ていない、スッキリとした後味を感じている自分がいた。

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、TVシリーズや旧劇場版から続く文脈の延長線上にあり、これぞエヴァの総決算といえる内容で、繰り返しの物語を終わらせた。本作は、作り手が観客に対して「現実に帰れ」と一方的に突き放すのではなく、ここではないところで”も”生きられるように「送り出す」ようなものだった。劇中でヒカリが語るように「生きることはつらいことと楽しいことの繰り返し」だとしても、つらい現実から虚構にはいつでもアクセスできるし、虚構での体験から現実の楽しみを見つけに行くこともできる。

 シンジは「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」と別れを告げた。これで完結編のはずだが、「さようなら」という言葉は「また会うためのおまじない」だと考えると、いつかまた何らかの形で出会うことになるのかもしれない。

 シンエヴァの本編開始直前にも上映される『序』『破』『Q』のダイジェスト映像。庵野秀明による編集はやはりリズムが気持ちよくて、このダイジェスト映像からそのままシンエヴァのパリ作戦へ直結するのが超楽しい。

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