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【設計思想から物作りまで】 なめら会議感想レポート

10/29(日)ikkunさん主導で『なめらかな社会とその敵』の読者たちが集まり、Web3業界で実装を行っている方などをメインに登壇発表が行われるイベントが開催されました。
今回はその簡単な参加レポートを記録します。

そもそも『なめらかな社会とその敵』とは

Smart Newsの創業者兼現会長である鈴木健さんが2013年に刊行された書籍です。

昨年に文庫版が発売され、再読の流れが起きた際に、自分のまわりのCrypto-Web3界隈でも読まれるムーブメントがありました。
PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論といった新たな社会実装の提案をしつつ、本書の中ではいかに「なめらかな社会」を実現することができるか議論されています。

なめら会議とその周辺

前回第1回はnuunさんおよびtooriさん主催で開催された『なめ敵』を読んでいる人で集まって、関連するモノを実装してみた事例を発表/議論する場がikkunさんに継承され、今回は2回目の開催となりました。
まずはみなさん、『なめ敵』を読んでみることをおすすめします。
関連する書籍として同時代性を持った経済学者グレンワイル氏の著作『Radical xChange』および「Plurarity」と呼ばれるCrypto界隈で提唱されている概念についての学習も推奨されています。

第1回の集会「なめ敵会」のレポートは参加者のnishioさんがこちらに詳細にまとめてくださっています。

なめら会議の概要

今回は、前回発表の際に議論の時間が少なかった反省から登壇発表は3者+飛び入り参加の方の発表という流れになりました。詳細を細かく語りたいところですが、nishioさんが既に大変詳細にまとめられているレポートを上げていらっしゃいます。

ここでは、あえて簡単な紹介に留めておきます。

登壇1:知財図鑑

知財図鑑というプロジェクトを主宰されているryo araiさんによるプレゼン。知財図鑑によって知財の有効利用をなめらかにできないのか?というテーマ性が印象的でした。現場での議論はクリエイティブコモンズの話やそもそも著作権の扱いや、セマンティックウェブに関わる観点にまで及びました。

KOJOの感想
人間の知性をいかに有効的に紐付けられるのか、という問題は、実装の観点でみるとHCI(ヒューマンコンピュータインタラクション)の文脈に収束するように思えました。一方で設計思想的な観点に立つと、知財というアセットそのものの扱い方という観点があり、情報や権利そのものについての問題、つまり情報とはいかに権利的に人間に分配されるのか、みたいな深いテーマにも接続するのではないかと思いました。

登壇2: Can't we stop the cycle?

Toshiya Tanakaさんによる意味深いプレゼンテーション。「歴史は韻を踏む」や「Webは分散で始まったがWeb2.0で中央集権化した、は誤り」という指摘や「TCP/IPもBitcoinもオートポエーシス」といった主張など、重要な論点が立ち上がりました。現場の議論では、人文思想の文脈からの再解釈や、Webの歴史学的な指摘が立ち上がっており、自分としてはとても勉強になる視点を多く受け取りました。

KOJOの感想
Webの設計思想や多くの運動が分散的でOut of 資本主義経済みたいなところから生まれているという話は非常に自分の中で示唆的なものがありました。ベンチャーキャピタルで働いていると World is totally made of moneyって感じになりますが、資本主義経済の外にある社会性みたいなものから新たな分散型=カルチュラルなイノベーションが発生しているのが興味深く思えます。仮に「歴史は韻を踏む」とするならば、Webの歴史学をちゃんと勉強するべきだなと感じています。カリフォルニアのヒッピーカルチャーがシリコンバレーに寄与しているように、資本性市場の外にある群衆が社会のオートポエーシスになってるということが本当に起きていて、そして、資本性市場の内部にも進行していると思うと、デリダ好きなぼくの観点からするとまさに「脱構築」って感じだなと思えます。資本主義的な正統性に対してメンチ切ることのできる巨大な思想が外部的な群衆から立ち現れるかもしれません。

登壇3:多元的技術 なめ敵とPluralityについて

濱田 太陽さんによるなめ敵およびPlurarityの思想的な系譜の整理や、近年のデジタル思想の整理などが発表されました。特に柄谷行人とそれ以降のデジタル思想家の関連性を整理するアプローチが非常に興味深かかったです。
柄谷行人と鈴木健さんの関連性に関してはご本人からネタバラシ的にどのような影響関係があるかなど解説があったりと、たいへん刺激的な会となりました。

 KOJO感想
濱田さんの解説の中で、成田悠輔/落合陽一/鈴木健/東浩紀という各思想家の思想的な距離が整理されていました。この箇所が個人的にとても興味深く、またその中で東浩紀さんと鈴木健さんが思想的に距離が相対的に近いというのもかなり同意できるところでした。一方で、お二人がシラスにて対談されていた時にも触れられていた話題にも通じる話として、お二人の間には『なめ敵』にもある「分人民主主義」という概念について一定の乖離があるように僕は考えています。東浩紀さん的な人文科学的な人間観と、複雑系の科学出身の鈴木健さん的な人間観に一定の乖離が感じられます。この人間の人間性的なものに関する深淵の議論は、自分の中でも、もっと深めていきたいなと思っているテーマの一つです。

二次会・三次会へと続く

会は発表を交えた一次会に留まらず、二次会/三次会での議論へと続き、深夜まで拡張していきました。自分は三次会の深夜あたりでお暇しましたが、それ以降も無限の会話があったと思われます。
思想も実装も両方行っている人が集まり、時間を忘れて議論できる場があることに感激するとともに、引き続きこのような会が存続してほしいと心から願っております。

あとがき

自分はCryptoやVC業界に入るずっと前から、思想・西洋哲学、それこそ東浩紀さんの主宰されているゲンロン/シラスを見ているただの人文系が好きな人間だったのですが、Crypto界隈に入ってからこう『なめ敵』というかたちで現実世界でかつて読んでいた著作に邂逅するとは思ってもおりませんでした。こう、同じ著作に共感する、なおかつ実装もしている人たちが集会を開いているということ自体が感動的であると思います。

このnoteを読んで、「なめら会議」に興味持たれた方がいれば、まず『なめ敵』を読んでいただきたいです。なめらかな社会を実装するための議論をぜひみんなで行いましょう〜!



以上。


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