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月刊誌に載った話

私のウェディングフォトが、月刊誌に使ってもらえた。
しかもこんなに大きな見出し広告で。
めちゃくちゃに嬉しい。
地元の月刊誌なので、知り合いにたくさん見てもらえるだろう。
とにかく嬉しい。


もしかしたら、中には目立つことが嫌いで
特に顔出しなんてしたくない!っていう人も多いと思う。
私もその気持ちはわからなくはない。

しかしその気持ちより、
私の写真なんかが、皆様のお役に少しでも立てるなら…という思いの方が大きいのだ。
なぜなら、写真の使用許可を承諾したほうが、
企業側から感謝されるからである。

そう、要は目立ちたがり屋でもなんでもない。
ただ自分の上っ面を良くしたいだけ。
ただそれだけなのです。

ただ感謝されたいだけ。
それだけです。

ただのエゴの塊の承諾でも、こうやって月刊誌に載せてもらって使ってもらえると
なんだかとっても嬉しい。

別に取材を受けたわけでも、特集が組まれたわけでもないのに嬉しい。

私のちっぽけな『良い顔をしていたい』というだけのエゴですら嬉しい。
なんともちっぽけである。

世の中大半の人間は、こういう『上っ面を良くしたいだけの親切』でありふれてるような気がする。
具体的な例があんまり思いつかない、、

例えば?最適解かわからないが、
人気の多い道で困っている老人を助ける。
これは内心『面倒』という気持ちや『関わりたくない』という気持ちがある中に
『助けてあげたい』『ここで見て見ぬふりをしたらみっともない』『人目が多いから助けておかないと冷たい人間だと思われるかもしれない』
という、保身が働く場合がある。
この保身がいわゆる『上っ面を良くしたいだけの親切』であると私は思う。

しかしこの親切で助かる人がいるのは事実。

やらない善よりやる偽善である。

少なくとも、私のちっぽけな見栄によって貼られたこの広告が誰かの目に留まり、

「あぁ、綺麗だな」

なんて思ってもらえて

「ここで挙式したいな」

なんて思ってもらえたら
それは企業側からしたらとても喜ばしいことなのだから。

そんな企業の飛躍に私が手をかせているのであれば
ちっぽけな私にも存在意義があるというもの。


月刊誌に自分が載っているのを見つけて、
ウキウキでこのエッセイを書く。

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