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ゴシップ誌にならない方法はある【おじさん小学生の譫言vol.15】

話すことがないと、結局ウワサや悪口ばっかりになっちゃうんだよな。

高級な毛繕いがしたい!

「2022年は『閉じる』」と表明しておきながら、年末年始は他人と話さないで過ごした結果、劇的に病んだ。おしゃべりおじさんは、おしゃべりしないと死ぬ。

しかし、今に始まったことではないが、そういう時に盛り上がる話題がないと、だんだんとその場にいない人の話になってしまう。そして必ずしも、その人を褒めているわけではない。

聖人君主ではないが、できるだけ後ろ暗いことはしたくない。そこで、映画を観る習慣をつくった。どうも映画は本よりも、その話題を共有しやすい。誰もが聞いたことのあるタイトルならなおさらだ。

映画じゃなくてもいいが、自分が鑑賞した作品の話をしていると、少なくとも他人の悪口を言わずに過ごすことができて良い。雑談とはすなわち毛繕いなのだから、話題は何でもいいのだ。何でもいいなら、ゴシップ誌よりは何かの専門誌になりたい。

反復と感情による記憶の強化

映画は強制的に浴びせられる情報量がとても多い作品形態で、とてもじゃないが一度の鑑賞でその全てを処理しきれない。なので処理し切らなくても良いや。という粗雑な鑑賞態度になってしまうが、正直これは作品に対して暴力的ですらある。

ともかく、そうして雑に作品を摂取すると、寝ても覚めても、その映画のことを引き続き「処理」しようとする脳の働きを感じる。もちろん生活の傍らでなので、意識上の処理は何度も中断される。すると結果的に、ひとつの事柄(その映画)について、繰り返し、繰り返し思い出しているということになる。

またそこには映画の内容に対する感情の揺れ動きがある。反復と感情、この二つによって強化されるものは記憶である。

さらにその映画について、こんどは雑談の場で主体的に語るということ。もちろん雑談に限らずnoteなどのブログでもいいが、いわゆるアウトプットと呼ばれる行為が、その記憶をさらに強化する。

では、そのような作品に対する記憶を強化することが、一体なんの役に立つだろうか?

こうした質問に対しては、イマイチ要領を得ない曖昧な解答をして、お茶を濁すことにしよう。

読書でも映画でも、作品に限らず、それを知っておきたかったという瞬間にページをめくろうとしても遅すぎるからだ。人生そのものが迫ってきた瞬間に使える道具は、既に知っているもののうち、さらに忘れていないものの中からしか選べない。

映画っていいですよね

そのような「利便性」は、いったん置いておいたとしても、とにかく生きている時間の中で、他人のウワサや悪口を言う回数を減らしておきたい。そういう時に、他人が心血注いだものを利用しようという魂胆は不純ではある。

不純な動機で結構。モテたくてバンドを始めた人が、やがて音楽の魅力そのものに取り憑かれるように、映画を観るときは、見事に俺の心を奪ってみせろコノヤロウと思って観るし、実際ちょくちょく奪われているのでチョロいもんである。

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