誰が読んでるかわからないけど

このノートは、独り言です。

誰に届くでもない、けれども、誰かに読んでほしい。

いや、読んでほしいってわけでもなくて、ただ、オープンな場に自分がいた痕跡として残しておきたいという、ただ、それだけのために書いています。

コロナ禍と、大学の卒業が被って、色々なことに慣れる前に放り出され、この世を憂うことが多くなったなあと思っています。

最悪なことを考えれば、いくらでも思いつくし、コロナだっていつ終わるかわからないし、今遠くの、でもそう遠くない国で起きている戦争だってもしかしたら明日は自分のいる場所で始まるかもしれない。地震だってあるかもしれない、火山だって噴火するかもしれない。突然人に刺されるかもしれない。自分は病気にかかっているかもしれない。いつ終わるかわからないこの日々に怯えている自分と、そんなことを考えたってしょうがない。今はただ、前向きに、前向きに歩むことしかできないんだと思う自分を行ったり来たりしています。

文章を書くことは好きです。歩きながら自分の頭の中に浮かぶ言葉を並べていくのはとても楽しいです。けれども、めんどくさくて、ずっと言ってるけど、めんどくさくて、こういう、媒体には残さないで生きてきました。

じゃあ、なんで今、書きたい気持ちになったのか。それは自分でもわかりません。
けれど、なんだか、自分という人間の終わりがちらついたというか、終わってしまった時のために、書いといた方がいいと思ったので、誰に届くかわからない、ラブレターを綴っていこうと思います。

まだ何物にもなれない自分に焦りながら、ただ流れていく今を受け入れて、まだ見えない次の年の自分に期待を込めて、今日も眠る。

洗練されてない言葉の羅列がそれっぽい見え方で、ただ浮かんでる。

人といるだけで人を傷つけていないか不安になる自分は、もういっそ、俗世から離れて名を捨てどこかで使い捨てられながら、都会の山の中に引き篭った方がいっそ幸せに生きられるのではないか。

好き。ということだけであれば、全ての人に対して告白ができるくらいはきっと好き。でもだからこそ、今の自分には深い愛を与えることができているのか、不安。

と、まあ、便所の落書きをネットの海に放り投げにきたわけですが、少しだけ、スッキリすることができました。スッキリするのは大事なことです。もやもやをスッキリさせていきましょう。スッキリさせ方も色々ありますが、人を傷つけないようにできたらいいな。人をもやもやさせちゃったら、その分人を笑わせていきたい。

街を歩いていれば、きっと面白いことがある。一人じゃ無理なことも二人だったらできる。きっと、そんな感じ。マイナスなことも考えてるけど、基本は前向きなので。お酒飲んで、飲まなくても、自転車乗って、夜風に当たりながら、今は寒いけど、街を歩けば、愉快な街が待ってる。人がいなくたっていい。明かりがついてさえいればそこには人がいる。あんたは一人じゃない。あんたが何を頑張ろうとしてるか、街のみんなは知らない。けれど、みんな味方。少なくとも俺は味方。それが、誰かのためになるのなら。自分のためになるのなら。頑張ろう。俺は、ひとまず、月末までに色々な支払いの準備をする。みんなはどうする?何もしなくてもいい。ただあんたが生きてるだけで、嬉しいんだから。

ただ生きようぜ。死なないように。


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