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6|動画見せる相手は友人ではない【YouTuberのなりかた】

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テクノロジーと融合した機械人間、YouTuber。2010年代に突然登場した彼らは一体何者なのか。また、彼らは単なるタレントの枠を超えてどんな影響を社会に及ぼすのだろうか。坦々とした文体で筆者はYouTuberになることは簡単ではないと説く。誰もが持っているスマートフォンから動画をアップロードするという、一見極めて簡単に見える行為。しかしほとんどの現代人は動画の1本すらアップロードしていないのだ。ましてや動画が見られ続けるようにするためには毎日投稿、生活スタイル自体の変更を余儀なくされる。このようなことを鋭く指摘した著者もまたYouTuberであり、動画投稿のみによって定義された「YouTuber」になることはこれからの時代を生きる上で極めて重要だという強い主張で締め括られる一冊。




3〜5分の無編集動画を中尺動画と呼んでいます。私が中尺動画を撮り始めたのは去年7月に逆精神病院というチャンネルを始めた時で、約半年間毎日投稿しました。しかしながらそのスタイルを確立するまでに色々な失敗があったのでその一つを説明します。

誰の役に立つのかというと、これから人生を変えたい人です。人生を変えるための早い方法が、中尺動画であると思っています。

この動画は誰に向けて撮っていると思いますか?

動画を見せる相手は友達ではなく、過去や未来の人間なのです。実際に私の動画を見る人として想定しているのは、例えば10年後の15歳とかになります。現在だけでなく過去や未来へ向けて発信しているのです。

つまり、現在生きている人の中にはほとんどペルソナはいないわけです。過去の自分に向けた言葉が多くなっています。ドンピシャな人はいなくても、部分的にそれに近い方が、この瞬間に何人か視聴しています。

人間と人間のコミュニケーションは、お互いインフルエンスし合うので、影響を及ぼし合います。ある点では自分のほうが先に進んでいて大人だけど、ある点では彼のほうが先に進んでいる。動画では自分より進んでいない部分がある人のために話します。

本当に必要とする人以外には見られなくて良いのです。動画ではカメラに向かって5〜8分間くらい話しますが、最後まで聴いてくれる人は、普通いません。私の編集もしてないような動画を見てくれてる人は「どんな人だろう」と考えます。

動画投稿を始める直前、私はいわゆるYouTuberではなくひたすらカメラに向かって話す人の動画を見ていました。編集をしていない人の動画の方が、案外見てしまうのです。その人にしか語れない物語があって、夢中になって動画を漁りました。

私のLINEの友達が500人ぐらい居ます。しかし、全員が現在も友達かというとそうではありません。仮にその友達500人に動画を配信した場合、必ず嫌なことを言ってくる方がいます。また、そもそも見ない人が大半でしょう。495人は見ないと思います。YouYube に動画投稿するのは、そういう事です。

友達500人中495人を相手にして喋っても、仕方ありません。495人が褒める動画は例えば私が留年した理由などです。

失敗や体を張った演技などが受けますよね。ですが、そういうものばかり投稿しても仕方ありません。本質的には誰が話してもオチが決まっている話や企画が伸びるからです。それよりも、自分の動画を見てくれる人に、ある意味でアンチの方も含め、500人中5人へ言いたい事を考える。

視聴者は友達ではないのです。たまたま同じ場所にいただけ、無作為に選ばれた人ではありません。

今からYouTuberになり、登録者を集めようとしても無理です。なので動画単位で勝つ事を考える。動画単位では、本当に響く方がいます。その方に見てもらうためにはどうすればいいかという事を考えます。

以上、中尺動画の初期に犯したミスについてお話しました。逆精神病院チャンネルに動画を毎日アップし始める前は、動画投稿をしようしようとは思っていたものの、友達に見せることをどこかで意識してしまっていました。そのためなかなかコンテンツを作れずにいたのです。思い切って別のアカウントを作成し、そこにひたすら無編集の動画をアップし始めて正解であったと心から思っています。
 
 




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