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「一円を笑う者は一円に泣く」の「一円」の価値――『三千円の使いかた』を観ておもったこと

いまフジテレビで放送中の『三千円の使いかた』はお金に対する価値観を再検討させてくれるいいドラマで、今期もっともよい作品の一つなのですが(山崎紘菜が好きだから観てるというのが大きいんですけどね)、その第4話「専業主婦の貯金術」を見ていて、ふと疑問に思ったことがありました。

このドラマでは毎回、アンミカ演じる節約アドバイザーが節約についての啓発をする場面があるのですが、第4話のテーマは「一円を笑う者は一円に泣く」でした。少額を使うときにこそその人のお金の価値観が表れるというような文脈で使われており、これはこのドラマのタイトル「三千円の使いかた」、つまり、主人公の祖母・中尾ミエがかつて孫たちに毎年三千円のお年玉を渡すときに諭していた、それをどのように使うかが大事なのだ、というメッセージと共通します。

疑問に思ったのは、いまどき一円で買えるものなんてないのだから、スローガンの内容と教訓が乖離しているのではないか、ということです。おそらく、かつて一円でものが買えた時代に用いられていた言葉だろう、と見当がつきます。

そこで北村孝一編『ことわざを知る辞典』を引いてみると、〈「ねえ、一円を嗤う者は、一円に泣く、って言うけど」早苗は、無意識のうちに、格言に使われている貨幣の単位を、現代風になおしていた〉(曾野綾子「一円をわらう者は」昭和50年)という例が出てきました。これを読むと、これは、別の格言の通貨単位を「現代風」に直していた、ということが推察できます。なおこの辞書では語義が「一円をばかにして笑う者は、やがて一円にも困るようになる。金銭は少額でも粗末にしてはならない」とされています。

そこで今度は『故事俗信ことわざ大辞典』を引いてみますと、ありました、「一銭を笑う者は一銭に泣く」。〈貯蓄奨励用に公募され、二等に選ばれた標語が定着したもの。ことわざとしては作者が明らかな珍しい例である。大正八年のこの標語は、逓信省為替貯金局の公式の標語として最も古いものという〉とあります。語義は〈たかが一銭とばかにして笑う者は、やがてその一銭にも困る羽目になる。一円をばかにして笑うは、やがて一円にも困るようになる。金額は少額でも粗末にしてはならない〉とされています。

ま、意味としては〈金銭は少額でも粗末にしてはならない〉というところなのはわかるんですが、〈たかが一銭〉の具体的なニュアンスは、少し考えてみる必要があるように思います。なぜならこの標語ができた大正8年には、銭よりも小さい厘という通貨単位があったからです。何銭かあればちょっとしたおやつくらいは買えたのです。

それは「一円を笑う者は」であっても同じです。『ことわざを知る辞典』が挙げている曾野綾子の例は、一円がとっくに最小の通貨単位になった時期のもので、一円で買えるものなんてありませんでした。しかし、国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索を用いますと、これより古い例が山ほど見つかります。最古のものは、鴫原一穂『中等作文 こうして作文は伸びる』(昭和25年)です。実際に読んでみますと、「一銭を笑う者は」の標語を引いて、「現代的にいいかえれば「一円を笑うものは一円になく」となるわけである」と書いてあります。

戦後のインフレによって決断されたいわゆる新円切換は昭和21年のことですが、銭・厘という単位が廃止されるのは昭和28年です。インフレによって銭・厘の価値はほぼなくなっていたとはいえ、一円で買えるものはけっこうありました。

つまりこの言葉は、一円では何も買えないけれどそれでも大事にしなくてはいけないという精神論を言っているわけではないのです。ところがインフレによって一円の価値が低下しつづけたことによって、教訓だけが残って、額面通りに言葉を受け取っては意味が通らなくなっていった、そういう流れだったのではないでしょうか。

鴫原一穂『中等作文 こうして作文は伸びる』(昭和25年)ふうにいうのであれば、「現代的にいいかえれば「百円を笑うものは百円に泣く」となるわけである」ということになるかと思いますが、いかがでしょうか。

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