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アッと思わず声がでる、決断と少しの後悔か心地よい

ミカンづくりをしている中学の同級生から、不知火ポンカンが届いた。長年やっているけれど満足のいくものがコンスタントにできなかった。僕の人生の集大成のようなもの、こんなメモが添えられてました。

3月から隔週土曜日に開かれる社会人向け園芸講座に通っています。ここ数回はナシの剪定、受粉、摘花と摘果作業でした。1ケ月もたてば果実がどんどん成長する。それを間引いてさらに大きく、甘いナシ果をつくる作業です。

剪定は翌年の収穫を思い描きがら、今年に結実させる枝を残して切る。
6-7花咲いた花そうから1つだけ花を残して落とす。
少し大きく結実した3果のうち、よさそうな1果を残す。

「アッ!」
思わず声がでる。周りからも小さく聞こえてきます。せっかく咲いた花を、実を、落とす「もったいなさ」。間違って切ったのではないかという思い。

当たり前ですが、枝も花も実もいちど切ってしまえば元には戻りません。

ハマりました。

「切る」という作業。残すモノを素早く選んでこれと決め、他を切る。この見極めと決断。切ってしまった後の達成感と少しの後悔の念。そして、ひとつひとつの作業が次につながる。これがなかなかイイのです。

モノをつくって売る、これまでずっと工業製品を扱ってきましたが、そろそろ考える時期。

自然相手の園芸は、結果がでるのに時間がかかり、繰返しの工夫をしようにも年齢的に時間が足りないかもしれない。リタイアしてからの新しい仕事としてはこの点が気になっていました。

それを越えられるかもと思ったのが、この「切る」という作業。決断と達成感と少しの後悔があり、しかも、これが短期的に繰り返される。心の高揚、満足感を得られる素晴らしい仕事じゃないですか。

中学の同級生の集大成には遠く及びませんが、彼ももこの感覚を手離せないのではと想像しました。

そうそう、言い忘れるところでした。みずみずしく、上品な甘さと香りの不知火ポンカン、自分で言うだけのことはありました。