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それでも、不十分なのである

この夏、東京電力福島第1原発で発生している汚染水の「処理水」を海洋放出するという。

自然界には宇宙から放射線が降り注ぎ、土壌や食物に自然に含まれる放射性物質から放射線を日常的に浴びている。2.1ミリシーベルト、日本での自然被ばく量の平均値だ。東電は、放出する薄めた処理水は自然放射線量の半分に設定されている年間線量限度の50万から3万分の1だと試算し、安全性を強調している。

不十分なのである。

国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は、の処理水を薄めて海に流すことに対して、「国際的な安全基準に合致している」として「お墨付き」を与えた。日本の原子力委員会もまた、東電の放出設備に「合格」を出した。

それだけではない。グロッシさんは福島の地元の会合に駆けつけ「原発にIAEA事務局の職員を常駐させ、安全を最後の一滴まで見届ける」と約束した。

それでも、不十分なのである。

漁業関係者は放出に反対し、消費者もできれば買いたくないと思う。中国は日本からの輸入海産物の放射線量をチェックするという。

放出安全性に対する丁寧な説明が不足しているからか?

違うと思う。リスクはどんな場合でも存在し、リスクをゼロにはできないのはわかっている。「見返り」がないから、納得いかないのだ。

福島第1原発事故は不幸にして起こってしまった。汚染水が発生し続け、保管量を超えている、これが現実なのだ。放っておくわけにはいかない。リスクをできうる限り最小限にして処理したい。

原発は「再稼働させずに廃炉にする」、「稼働中の原発を廃炉にするスキムをつくる」、二度と汚染水が発生しないように原発は「やめる」。

こう言えないものなのだろうか。