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アフガニスタン、「遠い国」はこれからも変わらない

「軍医としてアフガンに従軍していた」とホームズがワトソンの経歴を推理した「緋色の研究」が、アフガニスタンという国との最初の出会いだったように思います。それでもアフガンは長い間、なじみ薄い遠い国でした。

8月末アメリカ軍が、たまらず、1日早くアフガニスタンから撤収しました。9.11以降、テロとの戦いという御旗のもとに、膨大な犠牲をはらってきた。故中村ドクターはじめ日本人も犠牲になった。この行為が決してうまくいくとは思わなかったけれど、淡い期待もあったのです。いつか、アフガンに行ける時がくるのではないかと。

「緋色の研究」の最初の部分を読み直してみました。、
①ワトソンは第2次アフガン戦争で軍医としてインド・ボンベイに上陸し、配属先の連隊とアフガンのカンダハールで合流した。
②カンダハール郊外のマイワンドの戦闘で肩に被弾したが、看護兵に助けられ、その後ペシャワルの兵站病院へ送られた。
③治療中に腸チフスにかかり、何ヶ月間も生死をさまよったあと、軍隊輸送船オロンテス号でインドを離れ、一月後ポーツマスに上陸した。

地図を見ると、インドのボンベイ(ムンバイ)からクエッタ(パキスタン)を経由してカンダハールまでは直線でも約2000㎞。カブールを経てペシャワル(パキスタン)へは約700㎞もあります。1878年のことですからもちろん自動車はなく、馬と徒歩での移動だったのでしょうか。記述はありません。

カブールからペシャワルへ、ヒンズークシュの雪に覆われた山々を左手遠くに見ながらの移動だったに違いありません。重傷のワトソンは景色を楽しむ余裕があったとは思えませんが。

創作上の話とはいえ、その足跡をたどるのが楽しみです。ヒンズークシュもこの目で眺めてみたい。でも、今のアフガンの状況では到底かなえられるものではないでしょう。地図で思いをはせるだけです。

アフガン、遠い国は変わりません。