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2050年のカーボンニュートラルに思う

「カーボンニュートラル」という言葉が出てこない日はない。世界のベクトルがこの方向に向いている。過日、2050年のカーボンニュートラルをめざすという講演会があって聞きにいった。感じたのは、この絵は描けないということ。それ以上に、これは産業変革競争だということです。

大手化学メーカーと鉄鋼メーカーの取組みの紹介でした。前者は2030年までに半減させるというマイルストーンを描き、その後は「革新的技術開発」に期待するという。一方後者は個社では無理であり、大幅なコストアップを社会全体でうけとめ、さらには政府の支援が必要だという。要は2社とも、今は絵を描けていない。

プラスチックでも鉄でも、化学反応と熱力学でエネルギーをはじくことが出来、効率で割れば実際の大体の数字がでます。CO2が発生しない反応経路にかえるということは、そのエネルギーコストが大きくなる、もしくは原材料コストが増大するということにほかなりません。だって、逆だったらすでに今やってますよね。だからこそ、これには「革新的」技術開発が必要であり、そしてそのコストアップを社会全体で受け入れることがさけられない。

100点でなくてもいい、他社より少しでも優位でありさえすればという技術革新の競争社会がこれからも続きます。それを皆がやっていけば、いわずもがな、モノはあふれる。これじゃ、今までとなんら変わらないのじゃないかと危惧します。

2050年カーボンニュートラル、30年近く先ですから、どうなるかはトシヨリには確認できないかもしれません。でも、今できることは何かと考え、ひとつでも、それをやっていくことが大事でしょう。

クルマをEVに買い替えるのはまだ先でいい。家電製品は最新のAI機能がなくてもマニュアルでよい。そう、生活レベルを下げたくないから消費をつづけるというのを少し変えないといけない。

これは、わたしができることだと思います。