時計の誤差
山登りに行く時以外は腕時計をしなかった。まわりを見回せば、どこかしら、時を知らせてくれるものがある。
スマホの時計
駅の時計
テレビの時報
クルマのナビゲーションの時計
部屋の壁かけ時計
それでも見当たらなければ、近くの誰かの腕時計をみればいい。そんな時間間隔で生活してきた。1分1秒を争うものじゃなかった。
田舎の家を処分するので、タンスや仏壇、押し入れなどを整理したら、30年以上前に亡くなったオヤジの時計が出てきた。スイス製の腕時計、もちろんアナログ、機械式で手巻き・自動巻きのタイプだ。オーバーホールに結構お金がかかったが、機嫌よく動きはじめ、以来、外出時にはいつもはめている。
時計は正確さが要求される。日時計、水時計、砂時計、振り子・ゼンマイ式、クオーツ式、電波時計。時代とともに時を刻む方式が進化し、精度が向上した。
光格子時計というのがある。東京大学香取秀俊教授が考案したもので、誤差が300億年に1秒、世界で最も正確な時計だ。メートル原器のような時を刻む原器は、セシウム原子時計で、それでも数千万年に1秒の誤差だというから、光格子時計は大変な精度であるのはまちがいない。
一般的なクオーツ時計は月に1秒の誤差が出る。機械式はそれぞれ誤差があり、今はめている腕時計は、気がつくと、1分くらいすすんでいる。
光格子時計のような誤差ゼロの時計が、もし手に入るようになったら、買うだろうか。腕時計のように気軽に身近におけるとして。
買わないだろうなあ。
正確な時を刻むのはよいけれど、それば時を告げるだけだ。時を共有するもの、たとえば、電車の発車時刻。決まってはいても電車がその時刻きっかりに発車するということはない。バスだと交通渋滞があれば発車時刻は参考値でしかない。
会議を始める時刻をきめても、きっかりに始まることは少ない。
今日は何時に帰る?と聞かれても、8時「ころ」としか言いようがない。
時計がいくら正確であったとしても、ヒトをその時間ぴったりに縛ることはできない。不確定要素があるからだ。
そう、1分進む腕時計で十分なのだ。1日に1回、電波時計のように修正すれば、行動の誤差範囲におさまるのだ。
えっ?電車に乗り遅れた?
それは時計のせいじゃない。余裕をもって行動しなかったということ。