#192『アドルフに告ぐ』手塚治虫
全5巻の大作である。ユダヤ人の血が流れているというヒトラー出生の秘密を巡って、物語は進行していく。
歴史を変えるわけには行かないので、結局その秘密は最初から握られたまま、しかし公開されずに終わる。要するに、その文書は何事も起こさない。普通に「最初のあの機会に公開しておけば良かったものを…」と思うシーンが度々。歴史もののフィクションだとどうしても押さえる所は押さえておかないと行けないので、その分展開に無理が出てしまう。その意味で、この作品はどうしても失敗が定められている。しかしそこにさえ目を瞑れば(瞑って良いのか知らないが)、素晴らしい力作、名人の妙技である。複雑な何本もの線を自在に操りながら話を進行させていく出来は、『火の鳥』に並ぶ出色である。
メッセージは明るくない。希望が一応残されるが、終始苦しみに満ちている。そんな中、主人公・峠の性格が一点の明るさを灯し続けている。この主人公でなければ真っ黒一色の物語になっていたことだろう。良い男を発明したものである。
戦争に関する本を読んだ後の月並みの感想になるが、人間の愚行についてつくづくと考えさせられる。ナチス時代のドイツ人を見ると、ため息しか出ない。重要な事実として、人間はあれから進歩は全くしていない。というか人間は本質的にーー生物学的な脳構造としてーー進歩し得ない。だからコロナ・ワクチン騒ぎになればやはりハイル・ヒトラー!の変奏曲をやっているのである。人々はそれを認めない。あんなに野蛮ではない、あんなに狂っていない、と言うだろうがが、より巧妙になっただけ。後世の人間が振り返ったら、目が点になるようなことを今の多くの人々はやっている。その網目よりはるかに小さなウィルスを相手をしているというのに、マスクにこだわり、被害の方が大きいワクチンを打ち続ける。皆と同じように思考し行動しなくてはいけないと、思い込むーー更に癖の悪いことに「思い込んでなんかいない。だって実際必要でしょう」と主張する。まったく同じようなことを大戦中の人々もしていた。日本で、ドイツで、その他の国々で。#181『生かされて』のルワンダでも同様に。
結局、「いや、待て」と思える、言える、それを態度に示せる人が少数いて、他の多くの人々は何も考えないで宣伝に踊らされるーー手塚治虫は非常に冷静に、人間とはそういうものだと知っていたから、このような物語の主人公に峠という男を据えることが出来たのだと思う。彼には正真正銘の良心と分別、行動力と意志の力が宿っていた。
本書の素晴らしい点は中東戦争を最終章に描いたことだと思う。ホロコースト時代、被虐殺者だったユダヤ人が今度は虐殺者の側に立つ。安易な反戦ものはナチスを悪、ユダヤ人を善(非常に哀れな善)として取り扱い、戦争終結で話を終わらせるものである。「平和をーー」みたいな感じで。しかし本当の所、ナチスが悪だったのではなく、人間性の悪の性質が悪だったのである。その悪なる性質はすべての民族、すべての個人が持ち合わせている。立場、状況が変わればどうなるか、ということを最後に示した点、やはり手塚治虫は深い人間観を持っていたと思わされる。
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