#198『もの食う人びと』辺見庸

 飽食日本の暮らしの中で怠惰・無気力・無感動になった自分の胃腸に活を入れるべく、世界の様々な地域を当てもなく放浪しつつ、現地の食文化を体験しレポートするという趣旨の本。非常に考えせられる本である。
 居住禁止を言い渡されたチェルノブイリ原発の周辺に今なお住み続け、汚染された食材を森で採取して暮らす老人たち。ユーゴ内戦で滅びた村に残り、悲しみの中で食べることも忘れた老婆。残飯を漁ることでどうにか命をつなぐバングラデシュのスラム街の人びとなど。日本に生まれたままで日本に暮らしている限り決して知り得ないであろう食の風景が繰り広げられる。旅行者の立場では立ち入れない所まで踏み込んでいる所に著者の物凄い行動力を感じる。上述のチェルノブイリやクロアチアの廃村、バングラデシュのスラム、紛争中のソマリア、ドイツの刑務所、ロシアの軍事施設など、よくもまあ、そこまで入り込むものだと感心を通して呆れるほど。クロアチアの修道院、韓国の儒教の学び舎(的な?)では「1日2日の体験で何か理解できるおつもりか」とけんもほろろに断られる。当たり前である。そこを何とか、と食い下がる。まあ、私としては感心しない態度である。
 本書は極めて刺激的な本であるが、皮膚感覚としては、この世代の日本人のおじさんたちの押しの強さ、思い込みの強さ、我儘さが結構、嫌いである。こういう人たちがいたからこそこの国は急速に復興したという事実は認めるのだが…それとやはりそもそも皮膚感覚の合わないタイプの世代の文章なので、私の心にはいまいちしっくり来ない。別に難しいことを書いている訳ではないのだが、物事を考える順序とか述べる順序が、こうも違うものなんだなあ、と主題と全然関係ないところで感じる所があった。
 という訳で、取り組み方や叙述の仕方に関しては共感できない部分もあるものの(でも全然許容範囲ではあるが)、相手の懐深く飛び込んでそこで見たものを描き出す、このような本は、やはり世界観を押し広げてくれるので一読の勝ちはある。
 本書が刊行されたのは96年のことでそれから早30年ほどが経とうとしている。世界の情勢は非常に変わった。当時の「あどけなさ」みたいなものは世界の片隅から着実に消えつつある。いま旅したら、どんな風景が待っているのだろうか? 
 著者の思惑と超えて非常に静かな形で、人類の生きることにまつわる悲しさが伝わってくる本である。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?