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この歳になって――なぜ小説を書いている?

 はじめまして。吉村うにうにです。ちょっと重い話も混ざっております。小柳とかげさんの記事に触発を受けて、私もなぜ小説を書いている理由を吐き出したいと思い、記事にしてみました。いつもの小説と違って、下書きなしでノートパソコンに打っているので、推敲はほぼ無しです。

「生きるために書く」小柳さんの記事にありました。これを言う人は(書く人?)私の知っている限り二人目です。他にも居るんだと思って驚きました。一人目はカルチャーセンターに通っていた時の男性です。海外が好きで、何か月も海外を放浪しては(当然講座は休む)戻って来て、現地の風景を描いた小説を書く。その人は確か「生きるためにどうしても海外に行くのと小説を書くことは欠かせない」というような趣旨の事を言ってました。おそらく「生きる」=「生活費を稼ぐ」と言う意味ではなく、カッコ良く言えば実存的な意味での「生きる」だったんじゃないかと、考えています。私は、その人の考え方に触れたとき、
「あなたはゴッホみたいですね。あの人は絵を描かずにいられなかった、らしいです。自分の存在の確認でしょうか」
 と言うと、彼は、
「(小説を書く人は)みんなそうじゃないのですか?」
 その答えに驚きました。では、なぜ自分は小説を趣味として書いているのだろう? 安くつく趣味だから? 文章なら書けそうだから? 楽しいから? 賞を取りたいから? と思いめぐらしているうちに、やはり、書くこと自体を自分が求めているのではと思い至りました。

 ここまで読んで下さって、私のおバカなショートショートや猫小説を読んで下さっている方がいらっしゃったら、違和感をおぼえるかもしれません。でも、あれはあれで真面目に書いております。

 私の来歴を少しお話します。
 小学校の時、小説を書いた記憶があります。それだけです。
 母子家庭に育った私は、母親から小説を書くことを禁止されました。いや、はっきりと禁止を言い渡されたわけではありません。ただ、
「小説を書くと心を壊してしまいます。繊細なあなたには耐えられないのよ」
 と、太宰治や芥川龍之介などの自死をとげた小説家の名前を挙げて、小学校で書いた小説(戦記物で、嫌いな先生を実名で戦死させるとんでもないストーリーだったと思います)を最後に、中年になるまで、書いておりませんでした。

 でも、母が私に小説を書かせなかった理由は別にあることが、今では分かります。彼女は私を理系に進学させ、自分の望む職業につかせたかったのです。そうすれば、なれるかなれないか分からない小説家になることや、当時就職先に不安があると(母が勝手に思っていた)文学部に入ることもないだろうと。

 母の考えに疑問を持ったこともない私は、結果的に母の思い通りの進学をし、ある職業に就きました。才能があったわけではありませんが、勉強は物理的な時間をかけ、良い先生につくことで乗り越えたのだと思います。そう言う意味では、親ガチャは当たりだったのかもしれません。

 でも、どこかで「小説講座」の文字を見る度に、魂が震えるような衝動に駆られる自分がいつもいました。でも、大人になっても、母の反対する顔やあなたは書かないほうがいいという言葉を思い出してしまいます。(別に私は聞き分けの良い子であったわけではありません。講座代なら自分の給与で払えますし、暴力を振るわれるわけでもありません)。すると、小説を書くことは自分にとっては禁忌なのではないかという思いに陥ってしまうのです。

 それでも、いつか何かを書いてみたいという思いは捨てきれず、いつも友人や恋人には「いつか小説を書きたいんだ」などと言ってました。周りから見たら、口先だけの実行力のない奴だと笑われていたかもしれません。

そんな、何か書きたい、でもきっと書けない、書くのはいけない事では? と思い悩むうちに、私も中年に差し掛かり、ある日、街の文化センターでの「講座」の宣伝を目にします。

 それは、某先生のショートショート小説講座です。宣伝ではないので実名は伏せますが、
「400字くらいでもいい」という敷居の低さが気に入りました。これなら、私でも書けるかも、小学校の時のように。何より、こんな短い小説なら、母親に言い訳をしやすいかなという邪心もありました。仕事で文章を書く練習をしたいんだなどと。

 その講座では、悪戦苦闘しました。小学生の時以来、小説を書いたことのない、しかも小説をほぼ読んだことのない私に書けるはずがありません。でも、今振り返るとその講座の先生は、後に受けるどの小説講座で教わった事よりも大切な事を教えてくれました。
「楽しんで書いてください。誤字脱字オーケイですからね。小説にいい悪いはないです」

 この講座に一年ほど通ううちに、少しずつ自信もついてきて、罪悪感も薄れてきました。ストーリーは浮かぶけれど文は上手くなりません。でも、書いているだけで、満足でした。書くのは、近所にいる猫を空想で広げた物語ばかりですが、空想で広げた物語も、その中のキャラクターが生き生きしてくるのが楽しかったと思います。

 講座に通っている事は敢えて言っていなかったのですが、元来隠し事の苦手な私は、年老いた母に反応を見たくもなって言ってみました。やはり、母の反応は芳しくありませんでした。

 悲しかったです。やはり自分の趣味を否定されるというのは辛いものです。母親の願いを自分の希望と勘違いしたまま大人になり、仕事に就き(意外とその仕事も好きなんですけどね。やりがいもありますし)、彼女の意見を否定したことも全くなかったのですが、その母から自分のしている事を否定されるのは精神的にきつかったです。

 母の言うことが必ずしも正しいとは限らないのでは? そんな当たり前の事に気づいたのは、恥ずかしながら母が亡くなる直前です。体調を崩した母は、認知症ではなかったのですが、言動が以前より先鋭化し、私にも厳しい言葉を吐くことがありました。

 その時に、母の私への過去の発言、教育や躾の仕方、他の人への意見など、一つ一つ吟味した時です。親は間違うことも(多々)ある、という事にようやく気づきました。親と子で意見が違うなんてことは、昔の私には考えられませんでした。でも、老いた母の私への仕打ちを目の当たりにして、やっと、自分が自分の人生を生きていない事に気づいたのです。

私の人生は私の物ではなかった。そんな思いで、母が亡くなった時、恨みに思ったのか、私は泣けませんでした。今さら人が敷いたレールの上を歩くだけの人生に何の意味があるのだろう、とさえ思いました。

その後、もっと長編を書きたいと思うようになり、ショートショート講座を離れました(それでも時々単発講座などでお世話になりましたが)。

ショートショートよりもっと長めの小説執筆を指導する文化センターの講座を受講しました。そこは合評形式なので、みなさんの厳しい意見が怖かったです。二回目で挫折しそうになりましたが、前払いした受講料がもったいないという思いだけで通いました。そこで、厳しくも細かい所まで忌憚のない意見を頂くことで、質はともかく多少は長めの小説が書けるようになりました。

 このあたりから、人間の闇の部分を描くことが増えました。生前の母が心配したように、小説を悩みながら書くと、確かにメンタルには響きます。書きながら泣くこともたまにあります。でも、執筆はカタルシスにもなるようで、つらい記憶を呼び覚ましながら、辛い記事をモチーフにしながら折れそうな心と戦うと、後には爽快感がやって来ます。

 母の言うことに逆らって、もっと昔から小説を書いていれば、文学部などで専門の教育を受けていれば、今頃はもう少しマシな物が書けるのに、という思いが少しはありましたし、今もちょっと残っています。でも、逆らわなかったのも、今の職業を選んだのも結局自分だし、こうするより仕方なかったのだと開き直り、遅まきながら日々少しずつ執筆を続けています。

 文章は上手くなりません。情けないですが、それでも、たまに自分が思った以上の文が書けたり、キャラクターが生き生きと踊ったりした時は嬉しいです。

 母の意向で自分の適性や趣向とは系統違いの理系に進んだ私ですが、でも、小説を書くにあたって完全に間違いだったとも、思えなくなってきました。そんな心持ちになれたのはごく最近ですが。その職業につくことで視野は広がりますし、資格のお陰で、生活は何とかできます。人と会うことも多いのでキャラクターのモデルなど、創作のヒントになることも多いです。仕事は楽で仕事中に執筆ができる時もあります(フリーランスなので仕事先はバラバラ)。平日の午前中に投稿した時は、大抵仕事中の執筆です。

 過去を美化しているので、きっと小学生の時のような大胆な小説はもう書けないと思っています。ですが、これまで生きてきた軌跡、経験、感情の揺れ、面白さを追求していくにはまだ遅くないと感じています。何を今さら小説書いているんだろうと自分を笑いながら、今日もいい文章が閃かないかと都合の良い事を考えつつ、万年筆を握ります。

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