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転調 最終話

      

(第三部)最終話


「桃子ぉ」
「先生、森須さんに発語がありました。目の焦点も合っているみたいですし、意識レベルがかなり改善しているようです」
 横で揺さぶられて、私は気がついた。私は長椅子に座っていた。そこは、狭い部屋の様だ。白い鉄の様な壁に囲まれ、丸い窓が複数あり、それぞれの窓にガラスが嵌め込まれていた。どこだろう、ここは?何かで見た事ある風景、そうだ何かの映画で見た。ここは恐らく潜水艦の中だ。そう思うと納得した。
「先生、どうします? いったん治療を中止します?」
 隣を見ると、白衣を着た看護師らしき女性が室内のマイクに向かって喋っている。
「いや、悪い事ではないので治療このまま続けます。森須さーん。今からその部屋では気圧が高くなります。耳が押される様な感じになりますが、問題ありませんので、頑張りましょう」
 室内のスピーカーから声がした。
「ここはどこか分かります?」と看護師が聞くので
「潜水艦みたいな窓ですね」と答えた。
 彼女はくすっと笑う。
「口を閉じて、鼻をつまんで耳に空気を送り込むようにすると、耳が痛くないですよ」と鼻をつまむしぐさをした。
 私は耳が痛くなってきたので、彼女の真似をしてみたが、どうもうまくできなかった。
 鼓膜がへこんだ嫌な感じをやり過ごし、部屋の右側にある扉を看護師が開けてくれた。私は、看護師に支えられながらゆっくりとそこを出たが、扉を開けた先も海ではなかった。鉄の部屋の外は、無機質な白い壁に囲まれた大きな部屋だった。目の前に、白衣の男性が立っていた。
「森須さんわかりますか? ご自分の名前を言ってみてください」
「森須寅太郎です」
「ここがどこか、わかりますか?」
「わかりません。病院か、実験室の様に見えますが」
「ここは病院ですよ。意識がはっきりしてきたようで良かったですね、さあ座ってください」
 看護師に促されて、車椅子に乗せられた。彼女にそれを押してもらいながら、隣に歩く医師から話しかけられた。
「本当に良かった。森須さん。この病院に運ばれてから、ずっと目はぼんやりと開いているのですが、意識の状態が今一つで、何もお話にならない状態だったんですよ」
 私は、自分の手を見た。毛に覆われた前足と肉球ではなく、皺の刻み込まれた掌がそこにあった。
「私は、車の中にいる所を発見されたんですか?」
「そうですよ。森須さんは、重い一酸化炭素中毒でした。さっきの潜水艦みたいな所は、高気圧酸素療法室といって、体に高圧の酸素を送る治療のための部屋です。そこで一日一回治療していたんですよ。あんな大型の部屋があるのはこの地域ではうちだけですよ。普通は一人用の、狭いカプセルなんですから。かなり良くなってきたのでもう少し、この治療を続けますね」
「はあ」
「さあ、お部屋に着きましたよ。森須さんの奥さん! ご主人の意識がはっきりしてきましたよ!」
 病室と思しき場所に着く。医師が話しかけた先には、ベッドの横の椅子に腰かける女性がいた。幸子だった。老婆ではなく、まだ若い妻だった。
「あなた、わかるの? ごめんなさい、私……」
 彼女の目に涙が溜まっている。私は首を振る。
「あなたが大変な時だったなんて知らなくて。工場の方から色々聞いたの。辛かったでしょう。私、自分のことばかりで……」
「い、いや。元気そうで何より」
 私は、まだ現実を受け入れられないで、とんちんかんな返事をした。さっき、未来の妻とあったばかりだという意識から抜けきれない。今の私は人間の様だが、猫だったのは夢だったのか?さっきまでギターを弾いていたよな? ライブ後の、出待ちの客からの「タツノリー!」という歓声。沙汰が私をバシバシと叩くように撫でる荒っぽい友情、抱きしめてくれるかすみの胸の感触、桃子が私の毛繕いをしてくれた時の舌のザラザラ感、リアルだったよな? あれは全て虚構だったのか? それとも、また生まれ変わったのか?時代を遡って?
 混乱しながらも、この場をどうにか言い繕わなければならないような気はしていた。
「ごめん。迷惑かけてしまって。大変だったろう。確実に死ねたのならまだしも、生き恥をさらしてしまったな」
 私は下を向き、呟くように言う。
「そんな事、言わないでちょうだい!あなたが助かって、私どんなに嬉しかったか……」
 この世界を受け入れられず、更に気まずさも手伝って、私は黙り込んでしまった。その場にいた医師や看護師も気まずそうだ。
「明日も、高気圧酸素療法やりますね。それと、当院の精神科の受診予約も入れておきますね。森須さん、相当メンタル崩されていたみたいなので、お話聞いてもらってください」
 医師はそう言うと、足早に看護師と共に、病室から出て行った。
 
 
「うーん、狼化妄想症という『自分が狼だ』と信じ込む患者の例はあるけれど、世界的に稀な病気だしなぁ。猫で、ライブでギターを弾いていたって? いや、多分、練炭焚いたとき飲んだ睡眠導入剤の影響か、一酸化炭素中毒で脳が影響を受けたせいじゃないかな?」
 精神科の先生に、笑いを必死で噛み殺した顔で言われて、私はこれ以上争う気分になれなかった。どうせ信じてもらえないし、これ以上「あれは、妄想なんかじゃない」と言い張ると、別の病名をつけられそうだった。それに、精神科の医者の言うことが尤もな気もしてきた。さっきの先生には、一部しか話してないけど、相当ウケていたな。後ろにいた看護師も、笑いを堪えるために顔を背けていたしな。
 そんな事を考えながら、歩いて病室に戻ると、妻の他に、工場長の寒川と、産業医の宇似先生が待っていた。
「無事でしたか? 心配したよ。森須さんが無断欠勤するもんだから。いやね、森須さんが休んだ日、宇似先生がたまたま工場にやって来る日だったんだよ。先生が『森須さんが無断欠勤? 最近顔色悪くて体調崩されているかもしれないので、自宅が近いなら様子を見に行きましょう』なんて言うもんだからさ。先生と家に行ってみたんだよ。そしたら、居ないし。鍵は開いているし、部屋はゴミだらけだし。しょうがないから、警察に来てもらって、奥さんにも連絡とって、あちこち探して大変だったんだよ。で、その後奥さんから連絡あって、公園の車内で倒れているっていうじゃないか。心配かけないでよ」工場長は苦々しい顔で言う。
「すみません」
 この雰囲気に、私は猫に戻りたくなる。
「気になさらないでください。森須様に万一の事があったら、ご家族も私達も悲しむところでした」 
 宇似先生は、工場長の隣で控えめに言う。
「車の窓が少し開いていたのが幸運だったのかもしれませんね。煙が車内に籠らずに漏れていたようですよ」
「開いていました?」
「ええ、病院のスタッフからはそう聞いています」
「あなた、あの夜、宇似先生と工場長が病院に駆けつけて下さったのよ」
 妻は、横から口を挟む。
「すみません」
私は工場長と先生に頭を下げる。
あれ? 窓閉め忘れたっけ? 薬で意識が朦朧としてたからなあ。そう自分に言い聞かせた。
 
 
 数日後、退院となった。担当医からは「一酸化炭素中毒の方は、記憶の障害が多少残っているみたいですが、日常生活には問題ないでしょう。こちらに関しては治療終了です。精神科への外来通院はしばらく続けてください。精神科のドクターが、森須さんのお話を聞きたがっています」と言われた。
 私と妻は病院の玄関を出て、バスを待つ事にした。二人でそれぞれ荷物を一つずつ抱え、病院の玄関先にあるバス停のベンチに腰かけていた。日差しが強くなり、ポカポカと暖かかった。
「あ、そうそう。かすみのお墓ありがとう。私がいない間に死んじゃってたんだね」 
 幸子が、少し寂しそうな笑顔を作る。
「いや、別に。近くに種植えておいたから、そのうち咲くと思う。来年になるかもしれないけど」
「ありがとう。天国のかすみもきっと喜ぶわよ」
 私は切なくなった。私の中では、二度もかすみと別れていた。例え夢であっても、かすみと過ごした時間、それが宝物であっただけに、失うと余計に辛かった。
「そうそう、車の中にこれが落ちてたんだけど?」
 幸子が鞄の中から取り出したのは、猫用の青い首輪だった。
「かすみには、首輪着けたことなかったわよね。かすみへのプレゼントだったら、お墓に埋めていただろうし」
 私はドキリとした。
「さぁ? でもいいデザインだね」
 青い革製の首輪、真ん中には小さな石がついていて、それが太陽の下でキラキラと光っていた。これは確かに私の物だ。かすみからのプレゼントだった。
 私は、過去に戻ったのか、前とは似ているが違う世界に来てしまったのかは分からないが、かすみに飼ってもらっていた事だけは確信できた。あぁ、かすみにもう一度会いたい。人間でも猫でもいい。ちょっと位問題児でも構わない。少しでも声をかけたい、かけられたい。あの温もりに触れたい。そう考えると、目に涙が溜まってきた。
「かすみの事、思い出させちゃったかしら?ごめんね」
「い、いや。この首輪カッコイイね。頂戴」
 そう言って、私は首輪を、手首にパチンと装着してみた。
「手首につけたの? 猫用よ」
「ちょっといいなと思って」
「また、いつか猫飼いましょうよ。その子に着ければいいじゃない」
「そうだな。それもいいな」
 ダメ! この首輪は、かすみが働いた金で買ってくれたものだから、誰にもあげない。新しい猫には、私が別に買ってやるから。
 沙汰、かすみの事頼んだよ。家夢さん、ナゴミさん、沙汰をヨロシク。桃子、色々ありがとう。俺、優しくてしっかり者の妹に出会えて良かった。あれ?こっちの世界での桃子は?
「お、おい。ベビーベッドの桃ちゃんどうした?」
 私は、妻の肩を掴む。
「え? どうしたの? あれはまだ家にあるけど、もう必要ないから、リサイクルショップに売るか、売れなかったらもったいないけど……」
「駄目だ!」
 私は、妻の肩を揺すってしまった。
「ど、どうしたの?私、あれを見ると赤ちゃんの事を思い出して辛いんだけど」
 私は強引な言い訳を口にする。
「かすみが死ぬ前までお世話になってたんだ。かすみの歯形が残っているんだ。かすみの思い出が残っているんだ。それに、次の猫のベッドにもなるだろ? 目障りなら、俺の部屋に置けばいい。捨てるのだけは絶対駄目だ!」
「わかったわよ。そうね、私の赤ちゃんの代わりに、猫ちゃんに使ってもらえるなら、いいかも知れないわね」
 私の迫力に気圧されたのか、幸子は渋々同意した。
 バスが、角を曲がってやって来るのが見えた。私達は立ち上がって迎えた。かすみ、私はこっちで幸子と生きていくよ。桃子、帰ったら、真っ先に拭いてキレイにしてやるからな。そう考えながら、バスの運転席に向かって手を振った。
 
 
 
                 (了)  
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