リアル・ウィズ・コロナ

もうすでに公助が期待できず、
当然ながら自助もいっぱいいっぱい。
災害と同じ。
すごいダメージを受ける(ている)。

日本海側でも大雪で大変な思いをしている方がいる。
心配だけど、首都圏のようなコロナと重なっていないことが唯一の救いかもしれない。

コロナはこれからおそらく地方にももっと拡大するだろう。
コロナのたちの悪いところは、
災害のようにいっぺんに平等に来るものではない。

だけどみんなに必ずと言っていいくらい来るもの。
個々のダメージも大きい。

時差を持ちながら我々の身に起こる災いに対して、
その時に誹謗中傷、差別を生まず、
共助がどのくらい可能か、
その仕組みを事前にどう作っていくことができるか、
とても大事だと思う。

公助(民間サービスも含めて)には限界がある。
災害時でもコロナ禍でもそれは顕著になったけど、
高齢社会でも公助の限界は目に見えている。

行政の話だけではなく、
民間サービスまで滞るし止まってしまう。

だからこそ今、その仕事に就いている方はなおさら、
この先の世界を見据えて備えておく必要があろう。
役職はその組織に、仕事はその業務に責任を持つ意味でも。

ただ、「対価」をもらった分だけ責任を持つという姿勢では、
有事には歯が立たない。
すなわち対価を「果たせているか」はもちろんだけど、
「対価」がそれに見合っているかも問われる。

いい大人が「その場がこなけりゃわからない」は理由にならない。
ただの責任放棄だと思う。
・・・まぁ、その人がどんな責任を持っているかになると思うけど。

そう、人が持てる重さには限界がある。
そんなこともあるから、
だから先に手を打っておく必要はある。

そんな社会だからこそ、
共助って、まちづくりって、
「備え」だとも思う。
備えとは、自分の住む街やご近所に責任を持つことなんだろうな。
地域に対して「育ててもらった感謝や恩返し」をすることも、
大きな意味の「責任」のとり方の一つかもしれない。

「備災」という言葉があるけど、
ほんとに大事。

本当の意味のリスクマネジメントできる人が、
イノベーションも起こせる。
「要所解明」が、未来を創る鍵だよね。

高齢社会の取り組みもそう、
災害もそう、
何れ何処のところにも来る。
今、先進地や先人に、
どれだけ真摯に、謙虚に学べるか、ひとりひとりの姿勢が今、問われている。

神奈川の片田舎のおはなし。

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