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肌感覚、日本の成長率!

ここ30年、40年、日本は給与も上がらないし経済成長していないと言われている。
本当にそうだろうか。僕は絶対に成長していると思っている。
僕の肌感覚の日本の成長について話してみたい。

僕の子供の頃、1970年後半~1980年頃、約40年以上前だけど、まずウチに電話もクーラーもなかった。ウチが貧乏だったからかもしれないけど、真夏の夜中、あまりの暑さに「父親がクーラーを買う!」と叫んだのを覚えている。もちろん当時の言葉でいうとゲップだ。(ローンのこと)。

夏の夜、家の前の田んぼでカエルの大合唱が聞こえたのも鮮明に覚えている。眠れたもんじゃなかった。今は埋め立てられ、綺麗な家が立ち並んでいるけど。あのカエルは今でも土の下で泣いているのだろうか。

電話を付けるために父親の自転車の前に僕、後ろに姉を乗せて草加の電話局に行ったのも覚えている。電話の登録を済ませ、ガタガタの砂利道を電話番号を暗唱しながら帰ったのを鮮明に覚えている。電話がつき、近所の友達の家に何度もかけていたら、電話局から連絡がきて、「やめてください!」って怒られたのも覚えている。隣のおばちゃんの家に電話がなく、ウチに連絡がきて、「おばちゃーん、電話」って言ってたのも覚えている。

もちろんトイレも水洗トイレじゃなかった。いわゆるどっぽん便所。いろんなものを落として母親に怒られた。

駅なんて、タバコを吸う人で、モクモクと煙が上がっていた。電車の床は木でできていて油臭かった。
エスカレーターもまだ、左に一列ではなく、ごちゃまぜで乗っていた。ある時、テレビで人気タレントが「海外ではゆっくりな人が左、急ぐ人は右を歩く」と言って、その位から左に一列並ぶようになった。あれから40年、今はまた2列にしろと言いだしている。もう、どっちやねん!

スーパーというものが少なく、乾物屋さん、果物屋さん、酒屋さんに買い物に行ってた。
小学6年生の時に、ローソンができて、大混雑だったのを覚えている。

たまにスイカ売りのおじさんが、家を訪ねてきて、母親が同郷ということもあり、たくさんスイカを買っていた。夕方になるとチリンチリンと音がして、おだん屋さんがリヤカー引いてやってきた。よく味噌おでんを買った。

夕方、家の前で近所の人とよく焚火していた。

当時、とにかく埼玉県の草加市から浦和市に行く、東から西に行く道路がなく不便で、1992年外環自動車道ができた時に便利過ぎて感動した。ザリガニ採りをしていた沼は埋め立てられてしまったけど。
一律500円で草加ICで乗り、新倉PAでUターンして帰ってくるというドライブをよくしていた。新倉PAでは知り合いの先輩によくあった。

今や外環道は千葉まで伸びている、圏央道、北関東自動車道なんて超便利。

草加から新宿に行くのに便利な首都高がなく、安行ICから浅草の方を回って、箱崎を抜けて、新宿に行っていた。めちゃくちゃ大回り。まさか安行ICから乗って、池袋の方に抜ける高速道路ができるなんて夢にも思わなかった。その高速が山手通りの下を通っているなんて今でも信じられない。

渋谷駅なんて大学生の頃とは全く違う街になってしまった。

池袋だって、取材で街の写真撮ってたら、怖い人に写真撮るなって怒られて、命からがら逃げた。

新幹線の品川駅だって元々なかった。(2003年開業)
埼京線だって池袋駅止まりだった。「将来的には渋谷まで行くらしいよ」という話をしたら「嘘だー」って言われたのを覚えている。

僕のこの一昔前の身の回りだけで考えてみても大いに日本は成長している。

確実に街は綺麗になっているし、人も優しくなっているし、道路も鉄道も利便性はあがっているし、治安もよくなっている。国の保証も充実している。医療も発達している。
子供の貧困が多くなっているというけど、そんなことはない。
僕が子供の頃はみんな、貧乏だったから分からなかった。
旅行なんて行ったことはもちろんなかった。

何も心配はない、日本という国は地道だけど、確実に進化している。

子供達に言いたい。この自由で夢に溢れた国で何も心配せず、伸び伸びと生きてほしい。

土曜の夜、ごろごろしてないで。
賑やかなDown Townに繰り出そうよ!

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