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主体性ストップ安 その2

主体性の危機について

 以前、白饅頭師匠のツイートをネタに主体性についての記事を書きました。

 先日、師匠がその事を記事にしていました。

 あんなことを言っておきながら、なんですがやはり好奇心には逆らえません。
 ついつい、白饅頭日誌を購読してしまった。

 記事の感想

 ニートの人たちにはクリティカルなお話でした。
 いままでやっていなかった事をやってみるということは、仕事に限らずエネルギーを使うのです。

 ここ最近、文章を書くのをサボっていたので、段々と頭が悪くなったような気がしますし思いつかなくなってくるので、ひさしぶりにこうやって書いていると、進まなさというかまとまらなさすぎて大変に苦労しています。

 働いていないと自己肯定感が落ちるので
 働いている人はなにか特別な能力があるという風に思い込んで、なおさら自分は能力が劣っている→働かないほうが世の中のためであると
 行動しない理由、主体性を発揮しない理由を考えなおさらガチガチに何もしなくなる
 
すると、どんどんSPポイントの最大値が落ちてしまい、面倒くささが勝ってやらなくなるという悪循環ということですね。

 僕は何か新しいことはよくやっているんですけど、これがなかなか続かない三日坊主野郎なんです、本当に危ないんだなぁと思いました。
 続かないというのが状態化すると、逃げ癖がついてしまいます。

 根性がないという自覚があるので、こうならないように気をつけたいところです。

 無職をしていると社会人としての主体性は失われるけれど、暇人であると主体性を発揮すると、旅行とかに誘われて連れてってもらえるみたいなことに恵まれたりしました。

とりあえずやってみること

 とにかく、ちょっとしたスケールのことでも、新しい取り組みを生活に取り入れるとありますが、一体何をしたらいいんだろうかという問題に突き当たる。 
 毎日、朝起きたら今日は何しようかなぁという感じ。
 
 多くの人は、タスクを自分で設けるのではなく向こうから勝手にやってくるものである。

  じゃなきゃ、朝7時に起きるとかしないじゃないですか。
 実は主体的にやっているわけじゃなく、出勤時間という約束を守らないと怒られるし、給料もらえないからだから朝7時に起きるんです。

 舞い込んでくるようなことでもなければ、タスクを設けてわざわざこなすというをまったくやらないのです。

 しかし、逆に言えば、ちょっとコンビニに行くとか風呂に入るとかも、働いているときと違って、明日の仕事の為とかそいういう目的もなく、ただただ自分がしたいからという、主体的に決めてやっていることとして考えられます。

 暇つぶしになるからと、気分転換に
 PCゲームにMODを組み込んで見たということとか、遊びに近いことは違うんじゃないか。
 なんとなく、今日はいつも買わないみかんを買って食べてみたとか
 小麦粉からパンを焼いてみる・・・とか暇つぶしの延長線上でちょっと興味のあることをやってみたりはしている。
  しかし、このような行動で主体性が鍛えられるのであろうか。
 
  やはり主体性ポイントを鍛えるには、どのような体験が伴っているのかがなければ意味がないそう思います

 朝7時に起きて、仕事に行くといった毎日のタスクが成立するのは、私達が会社という共同体に所属して集団生活を送っているから、仕方なくという感じです。
 そのように考えると、人が何か主体性を発揮する場面というのは共同体、「人間関係」の中ということです。
 頼まれごとをこなしたり、困ってそうな人を助けたりとか。

 ふわっと、アドラー心理学を思い出したの、それらしい記事を引用してきました。

 最終的には、共同体に所属するとか、社会に出ていくといった方向性へと向かって行きましょうということで、その前段階のトレーニングとして考えるなら。
 
 メモ帳に今日はこれをするというToDoを設定し、実行する。
  これがいちばんやさしい、とりあえずやってみる、形から入ってみる何じゃないかなぁと思いました。

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